象の消滅 は村上春樹の短編小説です。
短編集「パン屋再襲撃」に収録されています。
パン屋再襲撃
この「パン屋再襲撃」は、1986年に発行された短編集です。
収録されている作品は以下の通りです。
- パン屋再襲撃
- 象の消滅
- ファミリー・アフェア
- 双子と沈んだ大陸
- ローマ帝国の崩壊
- ねじまき鳥と火曜日の女たち
「パン屋”再”襲撃」は再がついてます。「パン屋襲撃」という短編が1981年に発表され、その続編になっています。
そして、のちに「ねじまき鳥クロニクル」という長編になる「ねじまき鳥と火曜日の女たち」も収録されています。ねじまき鳥クロニクルの出だしとほぼ同じですが、長編のストーリーは想像できない出だしになっています。ただ、これはこれで好きです。
象の消滅のストーリー
象の消滅
5月19日に「象が消滅した」というニュースが、新聞の地方版のトップに書いてありました。
新聞によると、象がいなくなったことを気づいたのは、5月18日の午後2時でした。
いつものように象の食料を運んできた給食会社の人(象は近くの小学校の残飯を主食にしていた)が象舎が空っぽになっていることに気づきました。そして、象の世話をしている飼育員の男も一緒に姿を消していました。
人々が象を見たのは、5月17日の夕方5時過ぎが最後でした。5人の小学生が象のスケッチにやってきて、その時間までクレヨンを使って書いていました。そして、午後6時にサイレンが鳴ると、象の広場の門を閉めて人々を入れないようにしてしまいます。
スケッチに来ていた小学生たちは、象はいつもと変わった所は見つけられなかったと口々に証言していました。
象がやってきた理由
象はひどく年老いていたので、体を動かすのもやっとというありさまでした。象が町に引き取られることになったのも、高齢だったです。
町の郊外にあった動物園が経営難で閉鎖された時、象は老齢のため引き取り手が見つからなかりませんでした。そこで、動物園と町と宅地業者で取り決めを行いました。
- 象は町が引き取る
- 象を収容する施設は宅地業者が無償で提供する
- 飼育員の給与は動物園が負担する
「僕」は、その象問題のことをそもその最初から興味を持っていました。そして、象に関する新聞記事をスクラップしていました。3者の協定が決まった後、町議会の野党から反発がありました。しかし、結構長い討論の末に、町は象を引き取ることに決まったのでした。
山林が開かれ、老朽化した小学校の体育館が移築され象舎になりました。動物園でずっと象の世話をしていた飼育員がやってきて、そこに住み着いて世話をすることになりました。
象の飼料は、地元の小学生の残した給食の残飯です。
象の生活
象舎の落成式には「僕」も出かけていました。
象は左脚にがっしりとした重そうな鉄の輪をはめられています。輪から10メートル程の長さの鎖が伸びて、その先はコンクリートの土台にしっかり固定されていました。
飼育員は痩せた小柄な老人でした。無口で孤独そうな老人です。この飼育員に心を許しているのは象だけでした。象と飼育員は10年以上の付き合いで、両者の関係が親密であることであることは、ちょっとした動作や仕草でわかりました。
「僕」は一度飼育員に「どのようにして象に命令するのか?」と質問したことがありました。しかし、老人は笑って「長い付き合いですから」と答えただけでした。
とにかく、それから何事もなく1年が経過した。
象はどうやって消滅したのか?
消滅したときの状況
新聞は「象が脱走した」という表現を使っていましたが、象が脱走していないことは一目瞭然でした。
鉄輪は鍵をかけられたままだったのです。そして、鉄輪の鍵は飼育員は持っていませんでした。2本のうち1本は警察署、残りの1本は消防署に保管されていました。鍵は警察署と消防署にありました。たとえ盗んだとしても、盗んで象を逃して戻すということは考えられませんでした。
象の逃走経路がわかりません。町議会で象の安全管理が問題になったので、町は一頭の老象に対するにはいささか過剰な対策を取っていましたた。象舎と象の広場は、3メートルほどの柵でかこまれていました。
そして、象の足跡はどこにも見つかっていません。つまり、象は逃走したのではなく、消滅したのです。
消滅後
しかし、新聞も警察も町長も「消滅した」という事実は認められませんでした。警察は、猟友会と自衛隊の狙撃部隊に協力を要請して、山狩りをしますが見つけることはできませんでした。
町長が会見を開き、その報道は地方版ではなく全国版に掲載されました。新聞には、象を引き取ることになた詳細な経緯と、象の収容施設の見取り図が載っていました。そして、新聞の最後に「警察は象についてのあらゆる情報を求めている」と書かれていました。
僕は情報を求めているということを検討し、結局警察には電話しませんでした。
それから数日、捜索は継続されましたが、象は見つからなかりませんし、その痕跡さえ見つけることができませんでした。
僕は、毎日丹念に新聞を読み、記事をスクラップした。
「象の消滅」から1週間が経過すると新聞の記事も少なくなり、やがては全く報道されなくなりました。
彼女との出会い
僕が「彼女」に出会ったのは9月も終わりの頃、僕の会社が催したパーティで顔を合わせました。
ある電気機器メーカーの広告部に僕は勤めています。
彼女は主婦向けの雑誌の編集者でした。
シャンパンを飲みながら雑談していると、二人には共通の知人が何人かいることがわかりました。そして、たまたま妹が彼女が卒業した大学の卒業生でした。
そんなきっかけで、僕と彼女はそれぞれの家賃の話しをし、仕事の愚痴を言って親密になっていきました。僕は、彼女に対して好意を持ってはいけないという理由を見つけることができませんでした。
パーティが終わりかけたころ、同じホテルのバーラウンジに移り、話の続きをします。大学時代の話やスポーツや日常習慣の話をしました。
裏山
そして、象の話になりました。どうして象の話になったか、僕には思い出せません。彼女は象の話に興味を持っていました。
「象が消えてしまうなんて誰にも予測できないもの」
彼女はそう言い、僕は答えます。
「そうかもしれない」
しかし、彼の言い方が気になった彼女は突っ込んで聞きます。そして、僕は象の話をします。
「ひとつ気になるのは、僕が消えた象のおそらく最後の目撃者だっていうことなんだ」
それは、象舎の裏にはほとんど崖になった小高い山ありました。誰かの持ち山で道らしい道もない山です。そこに 1箇所だけ、象舎を覗き込めるポイントがあったのです。そこは偶然見つけた場所で、人一人が寝そべられるぐらいの平らな地面が開けていて、そこから見下ろすと象舎の屋根が見えました。
象舎の屋根の少し下には、かなり大きめの通風口が開いていて、そこからはっきり象舎の中を見ることができました。その場所を見つけて以来、午後6時を過ぎた後、時々そこを訪れて象舎の中にいる象を眺めていました。
バランス
僕が見たもの
「僕」が最初に気づいたのは、象と飼育員が、人前で公的な姿を見せている時より、ずっと親密そうだったということです。特別な何かをしている訳ではないのですが、二人の関係がより親密に見えました。
象が最後に目撃された5月17日の午後7時頃も同じように眺めていました。電気は煌々と灯っていて、象と飼育員の姿が良く見ました。
「その時には飼育員にも象にも異常はなかったのね?」
彼女はそう聞きます。
「異常なかったようにも見えるし、異常があったとも言える」
そう言うと気になったことを話します。「僕」が気になったのは、バランスでした。つまり、飼育員と象の大きさのバランスです。いつもより象と飼育員の大きさの差が、縮まっているような気がしました。
「そのバランスが違っていたというのは確かなのね?」
そう聞く彼女に僕は言います。
「たぶんとしか、僕には言えない。証拠は何もない。ただ、何十回とそれと同じ条件で見てきた訳だから、その大きさのバランスで思い違いするとは思えない」
確かに象は縮んで見えました。「僕」は町が新しく小型の象を手に入れたのかと思ったほどでした。
そして、7時30分頃には電気が消え、「僕」が象を見たのはそれが最後でした。
二人の関係
そんな話をして、僕は後悔します。やはり象の話をするべきではありませんでした。初めて会った男女がするには、完結された話だったのです。その後にどんな話をすればいいのかわかりませんでした。
二人は沈黙した。
そして、その場はそのまま別れます。それから一度電話で彼女と話すことがありましたが、食事には誘えませんでした。
「象と飼育員は消滅してしまったし、二度と帰ってこないのだ」
感想
この話はもちろん小説です。設定や消滅は作られた物語です。
しかし、なぜかリアリティを感じてしまうのです。好きな小説は、ありえない設定、ありえない状況であっても、どれもとてもリアルに感じさせてくれます。
この「象の消滅」も、なぜか1980年代に実際にあった話に思えてしまうのです。
要約したストーリーだけを見てもそうは思えないとは思いますが、ぜひ一度読んでみて欲しい作品です。
そして、この作品は「通気口からみた象と飼育員」がバランスが違っているように見えていました。これは、「スプートニクの恋人」でミュウが観覧車に閉じ込められ、ゴンドラの中から見た自室にいる自分を見てしまうことと似ている気がしました。
そういう同時存在、平行世界のような物語が怖くて、好きなのかもしれません。村上春樹の物語にはそういう話が多いですからね。
最後に
前回の「品川猿」に続き、「象の消滅」と紹介しましたが、まだまだ紹介したい短編があります。
ただ、どれを紹介していいのか、とても悩みます。
このブログを読んだ方が、少しでも気になってくれればいいのですが。
次回も好きな作品を紹介したいと思います。