鏡 は村上春樹の短編です。
短編集「カンガルー日和」に収録されています。
この作品は、学校の教科書にも載っていたようですので、見た方もいらっしゃるかも知れません。
短編の中でも、とても短い話しですが、すごく怖い話です。
カンガルー日和
1983年9月に平凡社より刊行され、1986年10月に講談社文庫として文庫化されました。
- カンガルー日和
- 4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
- 眠い
- タクシーに乗った吸血鬼
- 彼女の町と、彼女の緬羊
- あしか祭り
- 鏡
- 1963/1982年のイパネマ娘
- バート・バカラックはお好き?
- 5月の海岸線
- 駄目になった王国
- 32歳のデイトリッパー
- とんがり焼の盛衰
- チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏
- スパゲティーの年に
- かいつぶり
- サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM
- 図書館奇譚
鏡のストーリー
「僕」の家に仲間を集めて怖い話を順番にしているようです。
詳細な説明はありません。何人か話して、最後に主催者である「僕」が話し出します。
怖い話のパターン
みんなが「怖い話」をする時に、あるパターンがあると「僕」は思っています
まず1つ目は、こちらに生の世界があって、あちらに死の世界があって、それがクロスする話し。幽霊とかそういうものの話しです。
もう1つは、三次元的な常識を超えるような話し。予知とか虫の知らせとかいうものの話しです。
ただ、幽霊を見る人は、予知や虫の知らせを感じることがないようです。
同じように、虫の知らせを感じる人は、幽霊をみないようです。
そして、そのどちらの分野にも関係しない人がいます。それが「僕」です。
ある時も、二人の友人とエレベーターに乗っていて、友人二人は幽霊を見たのに、僕は見なかった。勘違いではないし、二人に騙されていることもありません。
そんな僕が経験した怖い話しです。
放浪の旅
僕が高校を卒業したのは1960年代半ば。学生運動が盛んな時期でした。
学生運動の影響もあって、高校を卒業してから肉体労働をしながら数年、日本中を彷徨っていました。
放浪二年目の秋に、「僕」は中学校の夜警のバイトをやりました。新潟の小さな町の中学校です。
昼間は用務員室で寝かせてもらって、夜中に2回校内をチェックすればいいだけの簡単な仕事です。
空いた時間は、音楽室でレコードを聞いたり、図書室で本を読んだり、一人でバスケットボールをしたりしていました。
その当時は、18歳か19歳で、夜中一人で過ごしても、少しも怖くありませんでした。
学校内を見回るのは21時と3時の2回。新しいコンクリート作りの中学校で、教室の数は20室ぐらいです。
見回るチェックポイントは20か所ぐらいあって、見回ったらOKとチェックを入れればいいだけです。
見回るときは、懐中電灯と木刀を持って見回っていました。
台風の夜
それは10月初めの風の強い夜でした。
寒くはありません。どちらかと言えば、蒸し暑いぐらいの気候でした。
夕方から、やけに蚊が多かったことを覚えています。
台風の影響で、ずっと風の音がしていて、壊れたプールの扉が一晩中ばたんばたん言っていました。
その日の21時に見回った時は、なにもありませんでした。
見回りが終わると、用務員室で3時に目覚ましを掛けて眠ります。
しかし、3時に目覚まし時計が鳴った時、とても嫌な感じがしたのです。
いつもなら、寝起きがいいのに、起きたくないような感じ。
しかも、相変わらず扉はばたんばたんいっていましたが、ちょっと違ったように聞こえました。
気のせいかもしれませんが、体になじまないような感じです。
嫌だな、見回りしたくないなと思いました。
でも、1度行かなかったら、癖になりそうだったので、無理やり行くことにしました。
鏡
風がどんどん強くなって、蒸し暑さも強くなっていました。
まず、講堂とプールを見回りましたが、どちらも異常なし。
校舎の中も、異常はありませんでした。いつも通りです。
結局何も起きず、20か所全部にOKを付けて用務員室に戻ることになりました。
最後のチェックポイントが東のボイラー室で、西の用務員室まで、1階のまっすぐな廊下を歩いて戻ります。
真っ暗で、台風が来ているので、月の明かりさえない状態です。
その廊下の真ん中ぐらいに玄関があるのですが、そこで何かを見た気がしました。
わきの下がヒヤッとしました。木刀を握り直して、見えた方向に懐中電灯を向けると、「僕」がいました。
鏡があったのです。
昨日まではなかったはずなのに、いつのまにか新しく取り付けられていました。
全身が映るほどの縦長の鏡です。
僕はほっとすると同時にばかばかしくなりました。
その場で、鏡に映った僕を見ながら、煙草に火をつけて一服しました。
金縛り
タバコを3回ぐらい吹かした後、急に奇妙なことに気が付きました。
そこに移っているのは、僕じゃないんだという感覚です。見た目は僕ですが、僕の形をした僕でない物のように感じたのです。
でも、その時にただ一つ理解できたのは、相手が「心の底から僕を憎んでいる」ということでした。
しばらくの間、僕はそこに立ちすくんでいました。
指の間からタバコが床に落ちてしまいました。もちろん、鏡の中のタバコも床に落ちます。
我々は同じようにお互いを見つめていました。体は、金縛りにあったように動かなくなっていました。
支配
やがて、「鏡の中の僕」の右手が動き出しました。指先が顎に触れ、虫がはいずるように顔を這い上がっていきます。
気づくと、僕も同じことをしていました。
それは、「鏡の中の僕」の方が僕を支配しようとしていたのです。
僕はその時、最後の力を振り絞って大声を出しましたた。
そのことで、金縛りはほんの少し緩みました。
僕は持っていた木刀を鏡に投げつけました。鏡の割れる音がします。
僕は後も見ずに走って、用務員室に駆け込み、鍵をかけて布団をかぶりました。
床に落とした火のついたタバコのことが気になりました。でも、僕はそこに戻ることはできませんでした。
朝
太陽が昇るころには、台風は去っていました。
風がやんで、太陽がくっきりとした光を投げかけています。
そこで、僕は玄関に行ってみました。玄関には、タバコの吸い殻が落ちていました。そして、木刀も落ちていました。
でも、鏡はなありませんでした。そんなもの、もともとなかったんです。
玄関に鏡がついたことなんてありませんでした。
僕が見たものは幽霊じゃなく「僕」だったのです。
それ以来、僕は自分以上に怖い物が他にあるだろうか?と思っています。
僕は参加者に問いかけます。
「ところで、気づいただろうか。この家に1枚も鏡がないことを。鏡を見ずに毎日ヒゲを剃るのには練習が必要なんですよ」
感想
夜中に読むと、ぞぞぞっと鳥肌が立ってしまいます。
僕が僕を見たという話しなのですが、僕は僕ではありませんでした。
僕の姿をした憎悪の塊です。台風と共にやってきて、台風と共に去っていきました。
そんな経験をしたら、鏡を見れなくなるのもわかります。
村上春樹の作品には、鏡越しやテレビ越しというような異世界を描く作品があります。あるいは、どこかを通り過ぎると、異世界に迷い込んでいたような話しもあります。
結論も考察もありません。ただ、物語としてそこにあるのです。
最後に
大きな物語でない方が、より物語の精密さを要求されることがあると思います。
村上春樹の作品には、そういうテクニカルな作品が多いですね。
また他の作品も紹介したいと思います。