品川猿 東京奇譚集 村上春樹(1)

読書

品川猿 は村上春樹の短編小説です。

東京奇譚集に収録されています。

東京奇譚集

2005年に発行された短編小説集です。

収録されている作品は以下の通りです。

  • 偶然の旅人
  • ハナレイ・ベイ
  • どこであれそれが見つかりそうな場所で
  • 日々移動する腎臓のかたちをした石
  • 品川猿

その中でも特に好きな作品の「品川猿」について、紹介したいと思います。

登場人物

安藤みずき(旧姓:大沢)ホンダの販売店勤務事務職
坂木哲子 心の相談室 カウンセラー 坂木義郎の妻
坂木義郎 品川区役所土木課勤務 坂木哲子の夫
松中優子 安藤みずきの高校時代の後輩 あだ名はユッコ
安藤隆史 安藤みずきの夫
桜田 品川区役所土木課勤務 坂木義郎の部下

ストーリー

はじまり

安藤みずきは、最近自分の名前を思い出せないことがあります。しかし、名前以外は忘れることはありません。

自分から名前を言う場合には準備をして言うので問題ありません。ただ、突然名前を聞かれると、頭の中が真っ白になって自分の名前が思い出せないことがありました。

財布を持っているときは、財布にある免許証を見れば答えることができます。

しかし、その免許証を見て確認している時間に微妙な空気になってしまいます。

そこで、ローマ字で自分の名前を彫ったブレスレットを作ります。それで、実質的な問題は解決されました。

心の相談室

名前だけが思い出せないということが、大きな病の初期症状ではないかと考えて、病院に行って診てもらうことにしました。

しかし、名前以外の他の記憶に影響がないことで、病院では相手にされませんでした。

たいがい「精神的なものだ」と言われ、他に症状が出たらまた来て欲しいと言われてしまいます。

そんな時に品川区の広報誌で30分2000円で受ける事のできるカウンセリングがあることを知ります。そして、そのカウンセリングに通ってみることにします。

「物は試しだ、行って損はないだろう」

そんな気持ちで予約を入れました。

カウンセリング

カウンセリングを担当するのは、坂木哲子という女性でした。

坂木哲子は、資格があり経験のあるカウンセラーです。

まだ始まってまもない「心の相談室」ですので、他に予約はありませんでした。

そのため、坂木哲子はみずきに時間をオーバーしてもいいので、ゆっくりお話ししましょうと言います。

問われるままにみずきは、家庭環境や学生時代のこと、現在の生活など話します。

みずきは学生時代、中高一貫の女子高に通っていました。遠方から進学してくる生徒もいるので、学校には寮があり、みずきも寮で生活していました。

みずきの地元は愛知県ですが、学校があったのは神奈川県でした。

寮から学校へ通い、金曜日の夜に新幹線に乗って帰省し、日曜日の夜に寮に帰ってくる生活です。

母親はその学校の卒業生でした。いい学校だったからと、娘にはその学校に進学させたいと思っていました。

みずきには姉がいました。しかし、元々体が弱かったのと、あまり表にでるタイプの女性ではありませんでした。そんな姉のこともあって、みずきが進学することになりました。

名札

学校生活と名札

坂木哲子に「名前に関連して思い出せる出来事はあるか」と聞かれます。

そこで思い出したのは寮で使っていた「名札」のことでした。

寮では、名札を使って在籍の管理をしています。

名札には表面に黒字、裏面に赤字で名前が書かれていました。寮にいる時は黒字で書かれた面を掲げ、不在の時には赤字で書かれた面を掲げるシステムになっていました。そして、長期不在の場合は、名札を取り外すようになっていました。

みずき(当時は旧姓の大沢)が高校三年生になると、寮の代表のような立場になりました。

そんなある日、同じ寮に住む一年生の松中優子がみずきの部屋に訪ねてきました。

松中優子からの依頼

同じ寮なので挨拶はしますし、短い会話ならしたことがありました。しかし、松中優子が個人的にみずきの部屋を訪ねてくるのは驚きでした。

松中優子は前置きなしにみずきに聞きます。

「みずきさんは嫉妬というものを経験したことはありますか?」

みずきは思いつく限り、一度もありませんでした。そして、松中優子に「ユッコはある?」と聞くと、いっぱいありますと答えるのでした。

松中優子は、美人でスタイルがよく、お金持ちの家に育って大学生のボーイフレンドがいるという噂です。それ以上何を望むと言うのでしょうか。

ただ、そんな申し分ない環境にある松中優子のことをみずきは、不思議なことに羨ましいと思ったことは一度もありませんでした。

松中優子から、実家で不幸があったので帰省すると告げられます。

そして、その帰省している間に、「名札」を預かって欲しいと言われます。

ちょっと気になることがあって、部屋の中に残しておきたくなくって。いない間に猿に取られたりしないように

そんなことを言い残していきますが、冗談を言うのも松井優子らくありませんでした。

名札を返しそびれる

松井優子は寮に戻ってくることはありませんでした。

担任が実家に連絡すると、松中優子は家に帰ってきていない、不幸もおきていないことがわかりました。

そして、優子は翌週末に遺体で見つかります。自殺でした。どこかの森で、剃刀で手首を切って、血だらけになっていたというのです。

坂木哲子は、自殺する前に部屋に来たことを誰にも話さなかったかとみずきに聞きます。

しかし、みずきは誰にも話していませんでした。女子校の寮の独特の雰囲気の中で、みずきがそんな話をしたら、充満したガスの中でマッチを擦るようなもの。ただ黙っていることがいいと思って言いませんでした。

名札は返すタイミングを失い、みずきは今でも持っていました。押入れに自分の名札と一緒に保管してあります。

しかし、カウンセリングの後、帰宅して名札を探してみましたが、名札の入った封筒はどこにも見つかりませんでした。

二人の名札

カウンセリングを受け始めて、2か月が過ぎたころです。名前を思い出せなくなる症状は変わらずありますが、頻度は増えておらず、小康状態になっていました。

9回目のカウンセリングの時に、坂木哲子に「次回来た時に大きな進展があるかも知れない」と言われます。

名前忘れが起きる原因について、具体的な原因を「目に見える物として見ることができる」と言うのです。

そして、予告のあった翌週カウンセリングに行くと、坂木哲子のハンドバックから取り出した名札2つを見せられます。松井優子と大沢みずきの名札でした。

驚くみずき。

「いったい誰がどんな理由で名札を盗み出したか、犯人に聞いてみましょう」

と言うと、坂木哲子はみずきを連れて区役所の地下に行きました。

そこには、土木課の坂木義郎と部下の桜田がいました。そして、その部屋の奥に扉があり、扉の中には一匹の猿がいました。

名前を取る猿

みずきのマンションに忍び込んで、こっそり名札を盗み出したのは、その猿だと言うのです。

盗み出したのは、ちょうど1年ぐらい前。みずきの名前忘れが始まった時期にあたります。

「申し訳ありません」

話し出す猿。

「誰のものでもいいと言うものではありません。心惹かれる名前があるんです。
 松中さんに恋い焦がれていました。しかし、猿ですから松中さんを手に入れることができません。
 そこで、せめて名前だけでも手にしたかった。ただ、それをなす前にあの人は自ら命を絶った」

松中優子が命を絶った後、猿は名札を盗もうとしました。しかし、名札がどこにあるのかわかりませんでした。それから多くの時間がかかって、もしかすると、みずきの手に松井優子の名札があるのではないかという閃きがあったと言うのです。

「どうして松井優子だけでなく、私の名札も取ったの?」

みずきは、猿に問いかけます。猿は、名前には心揺さぶられる名前があるが、大沢みずきという名前にも強く揺さぶられたから取ってしまったと言うのです。

名前を盗むプラス面

「これは病なんです」

そういう猿ですが、だた名前を盗むだけでなく、プラス面もあると言います。

「名前を奪う時に名前に付帯しているネガティブな要素もいくぶん持ち去るんです」

あの時、先に松井優子の名札を手に入れていたら、命を落とすことはなかったかも知れないと猿は言います。名前と共に、ネガティブな要素を地下の世界に持っていくことができたかも知れないといいます。

その話を聞いて、みずきは猿に質問します。

「では、私にはどんな悪いものがあったのかしら?」

しかし、猿は話したがりません。みずきを傷つけてしまう可能性があるからです。みずきは、猿の命乞いを条件に正直に話すことを求めました。

厄介払い

そして、猿は話し出します。

「みずきの母親は、みずきのことを愛していません。たった一度も愛したことがなありません。みずきの姉も、同じようにみずきを愛していません。中高一貫校に進学させたのは、みずきを自分達から遠ざけるための厄介払いだった」

みずきは気づいていました。しかし、見ないように気にしないように蓋をして閉じ込めてあったことです。そして、みずきは夫を愛したことがないと猿は言います。さらに、もし子供が生まれても、同じように愛することができないと言います。

みずきはしゃがみこんで顔を手で覆いました。内臓や骨がほどけて、バラバラになってしまいそうでした。しかし、猿の言ったことにショックを受けましたが、本当のことでした。

正直に話した猿を約束通り助け、高尾山辺りに離すことになりました。

そして、返してもらった名札のうち、松井優子の名札を猿にあげました。

それから名前だけを忘れることはなくなりました。作った名前入りのブレスレットと大沢みずきの名札を封筒に入れ、押入れの段ボールにしまいました。

感想

なぜこの話しが好きなのか、上手く説明できません。

設定は突拍子もない設定でありながら、なぜかリアリティがあります。

そして、松中優子が自殺した理由や、みずきの住んでいる場所を知った方法や、名札をどうやって盗んだのかなどの細かい説明はありません。ただ、物語をあるがままに受け止めるしかありません。

嫉妬の感情は誰しもが持っている感情だと思います。松中優子も持っていました。しかし、みずきは一度も嫉妬したことがありません。

充実した生活を送っているはずのみずきが、心の中に押し込めていた「愛されていない」という記憶。その「心を蝕む可能性のある記憶」を名札と共に持ち去った猿。

どういう示唆が込められているのか、まだよくわかりません。

ただ、何度も繰り返し読んでしまいます。

品川猿のその後

高尾山に放された猿のその後の物語が、村上春樹によって綴られています。

「品川猿の告白」

同じように短編で、「一人称単数」という本に収録されています。

最後に

村上春樹の作品は長編もいいですが、短編も面白い作品が多いです。

ちょっと不思議な話が好きで、また今度紹介したいと思います。

ドライブ・マイ・カー原作も短編小説でした

短編が面白い作家と言えば、宮部みゆきも面白いですよ。