三浦義村 は、北条義時の盟友として、ドラマの中で描かれています。
その三浦義村が、ここにきて、急に活躍しだしました。というか、暗躍です。
どんな人物だったのでしょうか?
頼朝の死まで
ドラマでは、北条義時と三浦義村は、同い年ぐらいか、義村の方が年上のような雰囲気です。
しかし、正確にはわかりませんが、義時よりも5つ下だったという説があります。
平家追討の時は10代後半で、やっと初陣を飾るぐらいだったと思われます。
だからこそ、合議制になった時には、まだ父親・三浦義澄が13人の中に入ったのだと思います。
そんな若い義村が表舞台に出てくるのが、梶原景時の変の頃からです。
梶原景時の変
概要
幕府内に密偵を数多く配置して、東国武士の監視をしていた景時。
結城朝光の発言を謀叛の証拠であるとして、将軍・源頼家に讒言しました。
窮地に立たされた朝光は、義村に相談します。義村は、景時を排除することを決断し、有力御家人66人が連署した「景時糾弾訴状」を提出しました。
その訴えを頼家に糾弾され、蟄居することになりました。その後、京へ上ろうとしたところを殺害されたのでした。
ドラマでは
結城朝光が琵琶を教えていた実衣に、景時に排除されそうなことを伝えます。そこから、義時に伝わり、義村が「景時糾弾訴状」を作ることを提案します。
そして、義時が「数人でいい」と言っていたにも関わらず、和田義盛を使って66人集めました。
その後、景時が失脚すると、義村が朝光に金を渡すシーンが描かれていました。
これは、景時を排除したかった義村が、朝光の件を上手く利用したのです。
義時の思惑とは別に、義村の謀略が冴えた回になっていました。
畠山重忠の乱
概要
北条時政の後妻・牧の方の娘婿・平賀朝雅の讒訴により、畠山重忠と嫡子・重保に謀叛の疑いがかけられます。そして、時政は2人を成敗することを決断します。
重忠の従兄の稲毛重成に招かれて、鎌倉にいた重保を由比ヶ浜で取り囲み殺害したのは、義村の命を受けた者でした。
さらに、武蔵にいた重忠を討つために編成された討伐軍に義村も参加しています。
両軍は二俣川で合戦に及び、重忠は討ち取られました。
しかし、謀反の企ては「でっち上げ」だったことがわかります。そして、稲毛重成父子、榛谷重朝父子は、重忠を陥れた首謀者として義村によって討ち取られました。
畠山重忠達一族は、頼朝軍に合流する前、義村の祖父・三浦義明を討った仇だったのです。
考察
概要を見ると、牧の方の謀略に乗って、祖父の仇を取ったように見えます。
畠山重忠は「坂東武士の鏡」と呼ばれる程、武勇に優れ、清廉潔白な人柄でした。
それが、平賀朝雅と酒席で争ったために、讒訴されてしまうのです。
ドラマの中では、牧の方にたびたび「役立たず」と罵られていました。それが伏線となっていて、牧の方の恨みから、重忠が討たれることになったのでした。
しかし、本来であれば平賀朝雅を処罰するべきです。しかし、北条時政の娘婿ということで、処罰できなかったのではないでしょうか?
そういうトバッチリは度々描かれています。源義仲の息子・義高の首を取ったものを打ち首にしました。さらに、藤原泰衡を裏切ったものを打ち首にしています。
ドラマでどう描かれるのかわかりませんが、義村は大きく関わって描かれると思います。
牧氏の変
概要
北条時政と牧の方は、将軍・源実朝を廃して、頼朝の猶子である朝雅を新将軍として擁立しようとします。
北条政子と北条義時は、三浦義村、結城朝光、長沼宗政らに、時政邸にいた実朝を義時へ連れて行かせせます。そして、幕府内で完全に孤立無援になった時政と牧の方は出家します。そのまま鎌倉から追放され、伊豆国の北条へ隠居させられました。
しかし、これは「吾妻鏡」に描かれている内容です。同時期の「愚管抄」には、陰謀を聞いて驚いた政子が義村を呼び相談し、義村が実朝を義時の家に連れていったというのです。そして、まだ何も事は起こっていないのに、将軍の仰せとして時政を呼び出し、故郷の伊豆国に送ったと書かれています。
考察
吾妻鏡は北条氏が編纂した歴史書です。そのため、北条氏(義時以降)に不都合なことは書けません。
それで考えると、北条時政が邪魔になった義時と政子が、義村を使って将軍を奪ったのではないかと思います。そして、時政を追放した理由は「平賀朝雅を将軍にしようとした」としたのではないかと思います。
もしかすると、時政の排除は、畠山重忠の乱で無実の重忠を殺したことも関係しているかも知れません。
和田合戦
概要
信濃源氏・泉親衡が北条義時を排除しようとする企みが露見しました。
その際、和田義盛の息子の義直、義重と甥の胤長が関係者として捕縛されます。
しかし、和田義盛の息子2人は配慮され赦免になりますが、胤長は主犯格として流罪になります。
そのため、北条氏と和田氏の関係は悪化してしまいます。そして、義盛は親族である三浦一族など多数の味方を得て打倒北条の決起をします。
しかし、義村は直前で裏切って義時に義盛の挙兵を告げました。
結果、和田義盛は敗れ、和田氏は滅亡したのです。
考察
三浦と和田は姻戚関係です。しかし、義村は裏切って、北条につきました。
義村と義時は、侍所の別当だった和田義盛が邪魔になったのかも知れません。しかし、詳細はわかっていません。
ただ、侍所別当という有力御家人がいなくなり、義時としてはやりやすくなったと思います。
源実朝暗殺
概要
将軍実朝が甥の公暁に暗殺される事件がおきました。
公暁は義村に対し「我こそは東国の大将軍である。その準備をせよ」という書状を持った使いを出します。義村は「お迎えの使者を差し上げます」と偽って討手を差し向けました。
公暁が義村宅へ行こうと裏山に登ったところで討手に遭遇し、激しく戦って振り払いますが、殺害されます。
考察
ドラマでも、頼家の息子が生まれ、乳母を義村へ頼んでいました。その息子が公暁です。
公暁は僧になりますが、義村の子の駒若丸は公暁の門弟になっています。
そういう関係があって、公暁をそそのかして実朝と義時を同時に葬ろうとした義村が黒幕だとする説があります。さらに、義時が公暁を裏で操ったという説や、将軍親裁を強め後鳥羽上皇との連携を目指した実朝を義時と義村が手を結んで排除したとする説もあります。
結果として、義村は公暁討伐の功により、駿河守に任官しています。
このことを踏まえると、義時と義村が公暁を操っていたのではないかと思います。ドラマでは、どう描かれるのでしょう?
後年
北条義時、大江広元、北条政子などがなくなると、執権は北条泰時になります。
そして、合議制の政治を行うための評定衆が設置され、義村は宿老としてこれに就任します。
幕府内の地位は、北条氏に次ぐ地位となります。
そう考えると、やはり北条義時と一緒に邪魔者を排除し、三浦を重要な位置に押し上げたのではないかと考えます。
これからどう描かれるかは楽しみですが、裏で暗躍する三浦義村の姿が見れるのではないかと思っています。
しかし、三谷幸喜の脚本は、一筋縄でいかないのも面白いところです。
最後に
梶原景時の変が終わり、次は阿野全成がターゲットでしょうか?もう、フラグは立ちました。
そして、まだまだ内ゲバが続いていきます。今回紹介した事件や変や乱だけではありません。
楽しみです。