鎌倉殿の13人(2) 伊勢平氏

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鎌倉殿の13人の平氏と言われるのは、平清盛に代表される 伊勢平氏 です。

その伊勢平氏の始まりについて、まとめたいと思います。

桓武天皇

伊勢平氏は、桓武天皇を祖とする、桓武平氏です。

伊勢平氏以外では、仁明天皇からの流れ、文徳天皇からの流れ、光孝天皇からの流れの4つの平氏があります。

関東で乱を起こした平将門も桓武天皇の孫の高望王の流れです。

高望王の長男 平良望が伊勢平氏の祖。三男の 平良将の子が平将門です。

平氏は西国を拠点にしていたように思いますが、平将門のように関東で活躍した平氏もいました。

伊勢平氏

伊勢平氏は、平将門の乱と藤原純友の乱を制圧した功のあった平貞盛の四男 平維衡よりはじまります。

藤原道長の時代、平維衡が伊勢に地盤を築いたことによって、伊勢平氏と呼ばれるようになります。

その後、一旦は勢力が衰えます。

しかし、院政の始まりによって、平正盛が白河院の近習になることから少しずつ道が開けていきました。

正盛の孫が平清盛です。

清盛は、保元の乱で当時天皇だった後白河天皇の信任を得ます。

さらに、平治の乱で最終的な勝者となることで、「平氏にあらずんば人間にあらず」という栄華を誇るようになります。

執権北条氏

源頼朝を補佐し、後ろ盾となる北条氏。

のちの戦国大名の北条氏と区別するために、執権北条氏(あるいは鎌倉北条氏)と呼ばれます。

所説ありますが、祖先を辿ると桓武平氏に行きつく説もあります。

もし、桓武平氏だった場合、源氏の後ろ盾となることで、同族の伊勢平氏を倒したということにもなります。

(時代が下れば下るほど、祖先は同じということは多く発生します)

ただ、残されて資料がないために、はっきりとしたことは言えません。

そういった家系や家格なども、踏まえてドラマを見ると、また違った楽しみがありますね。