長い話 ちむどんどん(15) ネタバレあり

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長い話 は、お父ちゃんとお母ちゃんの話しであり、房子の話しであり、三郎の話しであり、沖縄の話しです。

お父ちゃんと房子、三郎の関係、お父ちゃんとお母ちゃんの出会い。いままで語られていなかったことが語られていきます。

長い話しになりました。

そんな第15週のネタバレです。

ちむどんどん公式HP

第15週の主な登場人物

比嘉暢子のぶこ  黒島結菜  やんばる生まれコックの修業中
青柳和彦  宮沢氷魚  中学生の頃沖縄で暢子達と過ごした。新聞記者

比嘉優子  仲間由紀恵 暢子の母で賢三の妻。
比嘉賢三  大森南朋  暢子の父。暢子が10歳の時に他界。

石川良子  川口春奈  暢子の姉でやんばる小学校の先生。
石川博夫ひろお  山田裕貴  良子の夫で名護の小学校の先生。
比嘉歌子  上白石萌歌 暢子の妹。体が弱いが歌は上手い。
比嘉賢秀  竜星涼   暢子の兄。どうしようもない人。

大城房子ふさこ  原田美枝子 フォンターナのオーナーで暢子の親戚。
平良三郎  片岡鶴太郎 鶴見の沖縄県人会会長。
田良島たらしま甚内じんない 山中崇   東洋新聞社のデスク。和彦の上司。

嘉手刈かでかる源二 津嘉山正種 沖縄戦戦没者の遺骨収集の活動をしている

第15週のストーリー

物語は、1978年(昭和53年)8月18日ウークイの日。

帰省

西山原バス停で、バスを降りる賢秀と暢子。フラフラの賢秀は、飛行機で酔ってしまったのでした。

「エアポケットってなにか?空にポケットみたいな穴があるわけ?」

そんな文句ばかり言っていますが、賢秀の飛行機代は暢子が払っていました。

「飛行機代ぐら倍にして・・・ウェッ」

いつもの「倍にして返す」ですが、今日は飛行機酔いで、上手く言えない賢秀でした。

そして、良子と歌子が、バス停に迎えにきました。兄妹4人が揃うのは、賢秀が詐欺被害にあう時まで、遡らないといけません。

「にいにいは東京で何してるわけ?」

そう聞かれた賢秀は、いつもの調子で話していました。

「着々とグレートなビジネスの準備中なわけ。今は人生のエアポケット。これから上昇気流に乗って・・・」

良くも悪くも、相変わらずでした。

良子と歌子の近況報告

バス停から、海を見に来た四兄妹。暢子は、良子は近況を聞きました。

「つまり、博夫さんはねえねえが仕事に復帰したことを石川の実家に認めてもらおうと頑張ってるけど、博夫さんのお父さんたちが認めてくれないわけね」

そして、良子は自分の気持ちを話します。

「石川博夫と結婚した。それと同時に石川家の嫁になったって訳で、とにかくめんどくさい」

歌子は、博夫はすごく頑張ってると思っています。そして、良子も博夫に対する愛情が薄れている訳ではありません。しかし、今はお互いが離れて暮らす方がいいと、諦めかけてる状態でした。

歌子も自分の近況を暢子に話します。

「おとうちゃんみたいに沖縄の歌を思いっきり歌いたい訳。でも知らない人の前では・・・」

恥ずかしがり屋の歌子。暢子は、歌子の気持ちがわかっています。

「でも、歌子は知らない人の前でも、おもいっきり歌えるようになりたい訳ね」

暢子の近況報告

さとるのプロポーズを断った次の日に、今度は和彦くんから?どうするの?」

そう良子は暢子に聞きますが、暢子は悩んでいました。

「今は、仕事が楽しいし、結婚も仕事も両方という訳にいかないから」

そんな風に説明していました。だいぶ房子の影響があるようです。

それにしても、歌子は智のことが好きなのに、反応は普通でした。喜んでいるようでも、悲しんでるようでもありません。それは、歌子の気持ちを兄妹にも内緒にしてるからでしょうか?

ぐうの音も出ない

職場の和彦の席の後ろは、今までは愛が座っていた席でした。しかし、荷物は片づけられ、今は空いています。和彦はため息をついていました。

「大野の件は聞いているよな?東洋グラフに移ったら、すぐパリに立つそうだ。本人の希望で送別会は辞退したいと」

デスクの田良島は、和彦にそう声を掛けました。

「少し、時間をください。気持ちの整理がつかなくて」

そういう和彦に「しかたない、ゆっくり休め」とは言わず、しっかり説教しました。

「お前の煮え切らない態度と優しさのせいで、大野も暢子ちゃんも傷ついた。
 婚約者と幼馴染の間でさんざん迷走したあげく、どたんばで婚約者に別れを告げようとしたら、逆にフラれて傷つき、幼馴染に告白したら拒絶。あはは。
 つまり、今のお前は、穴があったら入りたいくらいみっともない上に、大野への罪悪感と暢子ちゃんへの未練でパンク寸前」

正確に状況を言い当てられ、ぐうの音も出ない和彦でした。

急いで沖縄へ

「はい、仕事のはなし。沖縄行けそうだぞ」

田良島は話しを変えました。沖縄に行くのは、遺骨収集の活動をしている嘉手刈老人に取材をするためです。しかし、昔一度取材を受けたものの、それ以来、取材は受けてくれていないのでした。

「人づてに奥さんに確認したら、本人は口数少ないから取材に答えるかわからないけど、現場に同行する分には構わないと。
 今日は仲間の人達と収集作業をするそうだ。場所はここ」

急な話しで、驚く和彦。そして、田良島は「この取材は一旦、自腹だ」と言うのでした。

「すぐ記事にするスケベ心で、会ってもらえる相手じゃないし、上を説得する時間がなくて、取材費が下りない。
 お前は沖縄をテーマにしたいんだろう?それなら、今行くしかない」

そう言われ、行くことを決意する和彦でした。

伝手

「これ、カンパ」

取材費がでないため、旅費をカンパしてくれました。しかし、それは房子からだったようです。嘉手刈さんの奥さんとの連絡の取り方を、連絡を取った房子が教えてくれました。

「嘉手刈さんとお知り合いなんですか?」

そう聞くと「ちょっとね」と言う房子。しかし、房子は沖縄には一度も行った事がありません。そして、「これ、嘉手刈さんに渡して」と風呂敷包みを和彦に渡します。

「もし受け取らなかったら、奥さんに」

ただ、渡せばわかると言って、中身は教えてくれませんでした。

お母ちゃんの再婚話し

「それで、お母ちゃんと善一さんの再婚はどうなってるわけ?」

暢子が急いで帰って来たのは、この話しがあったからでした。

「善一さんは乗り気で、歌子も引き取って、絶対に不自由させないって言ってるって」

そう説明する良子。そして、「お母ちゃんは前向きだって」と、安室のおばあと新垣のおばあに聞いた話をしました。

「母ちゃんが結婚したら、”前田優子”になるわけ?お母ちゃんと違う苗字だっていうのは納得いかない」

賢秀は子供のような発言をしていました。しかし、そう言われて賢秀は「暢子は暢気のんきすぎやさ」と言うのでした。

歌子は「お母ちゃんの気持ちを尊重してあげたい」、良子は「うちは賛成できない。結婚は当人同士だけの問題じゃない」と言っています。しかし、こればっかりは、子供達だけで決められる問題ではありません。

善一に聞いてみる

「考えてもしょうがない、直接聞いてみよう」

そういうと、四兄妹で共同売店にやってきました。善一は、売店で仕事をしていました。

「縁談の話し聞いた訳か。申し訳ない。
 俺と優子さんが再婚する話が広まってしまって、不愉快な思いさせて申し訳ない。
 優子さんのことは、人として尊敬している。とっても大事に思ってる。
 でも、俺の勝手な思いで、優子さんを苦しめたり、この村に居づらくなったりすることがあったらならんさ」

善一は大人の対応です。しかし、善一自身、どうしていいのかわからなくなっていました。

そこに新垣のおばあと安室のおばあがやってきました。そして、お母ちゃんがいるか聞きます。しかし、今日お母ちゃんは休みで出かけていました。

「あり、ありよ」
「であるわけね」

何かを隠している二人のおばあ。お母ちゃんはどこへいったんでしょうか?

遺骨収集場所

和彦は、遺骨収集をしているという、沖縄本島南部の洞窟にきていました。しかし、嘉手刈老人は、和彦が新聞記者だと知ると「帰ってちょうだい」と言うのでした。

「嘉手刈さんが遺骨収集されている気持ちを聞きたいんです」

和彦は食い下がりますが、嘉手刈老人は答えてくれません。

その時、聞き覚えのある声が聞こえてきました。暢子のお母ちゃんの声でした。驚いて声をかける和彦。お母ちゃんも和彦に驚いていました。

和彦が「どうしてここに?」と聞くと、お母ちゃんは「和彦君こそ、どうしたわけ?」と聞き返します。

「僕は取材で。おばさんは嘉手刈さんの活動に参加してるんですか?」

しかし、お母ちゃんは答えませんでした。

「もうバスの時間だから。ここで会ったことは暢子には言わないでね」

そう言って去って行きました。

秘密

兄妹4人は、家に帰ってきていました。

「今までも、たまにあったよね」

年に1回か2回、お母ちゃんは用事があると出かけることがありました。しかし、どこへ出かけていたのか、子供達には言いませんでした。

「子供のころは、お父ちゃんと行ってなかった?」

子供たちが小さい時は、両親揃って出かけ、子供達は善一の家に預けられ、留守番していました。

「何か、うちたちに秘密があるのかな?」

隠し事があるようですが、考えても暢子達には分かりませんでした。

状況報告

嘉手刈老人は金物店を営んでいました。その店の前の公衆電話から、和彦は田良島に連絡します。

「奥様のご厚意で家に連れてきてもらって、房子オーナーからの頼まれた物も渡すことができました。
 しかし、肝心の嘉手刈さんは、何を聞いても知らんの一点張りで。
 でも、必ず聞き出しますよ」

そう意気込む和彦を田良島が一喝します。

「聞き出すとか、お前何様だ?
 なぜ、見ず知らずのお前に話したくもない話しをしなくちゃならないのか、良く考えてみろ。
 わかんなかったら、尻尾巻いて帰ってこい」

そう怒られても、和彦は「帰りません」と強い決意で返しました。

「僕はずっと追いかけてたんです。20年前の嘉手刈さんの記事を読んだ時から」

そう言うと、思いがけないことを田良島が言いだします。

「あの記事か、あの記事を書いたのは俺だ。あの記事が世に出たことで、嘉手刈さんにはとんだ迷惑をかけてしまった。
 嘉手刈さんに、これだけは伝えてくれ。俺がずっと・・・」

そこで電話が切れてしまいました。10円を入れ続けることが、大変な時代でした。

房子の支援

電話が切れた後、和彦は嘉手刈の家に上がらせてもらいました。そして、ちゃぶ台を前に正座して、嘉手刈老人に話しかけます。

「僕の父は沖縄の基地にいました。米軍が攻めてくる前に転属になって、死なずにすみました。
 父は、元々民俗学者で、沖縄の文化をライフワークに本を書こうとしていました。
 僕も子供の頃、まだ復帰前の沖縄で、父と暮らしたこともあります。
 父は僕が中学生の頃に急病で他界しました。
 いずれは、父の果たせなかった思いを引き継いで、沖縄について僕なりの本を必ず書きたいと思っています。
 今回お邪魔できたのは、上司の田良島の計らいです。
 田良島は、嘉手刈さんに迷惑をかけてしまったと言っていました」

嘉手刈老人は、田良島の名前を聞いて、反応しました。

「田良島さん。。。あんた田良島さんの部下か。この大城房子さんとはどこで?」

田良島と房子、そして自分との関係を話す、和彦。

「大城房子さんは、毎年多くのお金を寄付してくれている。
 房子さんが間に入ってくれたおかげで、掘り出された物が遺族の手に渡ったこともある。
 これは全部、本土の遺族の人からのお礼の手紙さ。届てくれて、ありがとうね」

田良島の迷惑


20年前、田良島が嘉手刈老人について記事を書きましたが、一体どんな迷惑をかけたのでしょうか?嘉手刈老人は話してくれました。

「私の親戚や友人には、いろんな立場の人の人がいてね。
 あの戦争は思い出したくもないと言う人もいるし、アメリカ人相手に商売して生活人もいる。私の所に文句を言いに来た人もいるよ。
 取材を受けなければ良かったって、ひとこと田良島さんに言ったら、それを田良島さんはずっと気にしてる訳さ」

沖縄の人の想いを揺さぶる、そういう記事だったということです。

なんとか伝えなきゃいけない

「今日はウークイだ。これも何かの縁かも知れないね。
 あの戦争で、人は人でなくなることをした。
 自分の子供に、あの時の事を話しできない人もたくさんいる訳さ。
 戦争経験者はどんどん死んで、そのうち誰もいなくなる。
 なんとか伝えなくちゃいかん」

和彦は、「過去を知ることが、未来を生きるための第一歩だと思います」と、まっすぐな目で嘉手刈老人に言うのでした。

「あんた、いい目してるよ。田良島さんと同じ目してるよ。
 どうやったら、正しく伝えられるかわしにはわからんけど、あんたがそれ考えてくれるというなら、わしはなんでも話すよ」

そう言って、取材を受けてくれることになりました。和彦は気を引き締めて言います。

「一生かけて考えます。お約束します」

それぞれのウークイ

比嘉家

ウークイのお供えをお父ちゃんに供えていました。そこに帰ってくるお母ちゃん。

「賢秀、暢子、遅くなってごめんね。
 みんなが揃うの、何年ぶりかね。
 二人とも元気そうで上等さ。暢子、仕事どんなね」

お母ちゃんは何かを隠しているようで、質問される前に話します。しかし、子供たちは、聞きたいことばかりです。

「そんなことより、お母ちゃんの話し」

そう暢子が言うと、賢秀が後を引き取ります。

「今日売店で善一さんと話した。母ちゃん、再婚するのか?」

お母ちゃんは答えません。そして、良子が聞きます。

「何かうちらに秘密があるの?」

暢子は信じられません。

「まさかや、秘密とか。今日はどこに行ってた訳?」

歌子も聞きます。

「今日だけじゃない、これまでも年に何回かそういう日があったよね」

そして、良子がトドメの一言を言うのでした。

「お母ちゃん、うちたちはもう子供じゃないんだよ。本当のこと、ちゃんと話してちょうだい」

あまゆ

あまゆでも、ウークイのお供え作っていました。三郎はカウンターで一人飲んでいます。そこに田良島がやってきました。

「お休みですか?ここで飲みたいなって思ってきたんです。けど、また・・・」

そう言って帰ろうとする田良島を呼び止める三郎。

「付き合って下さいよ。いいだろう順次」

あまゆの店主に確認し、田良島を招き入れ、二人で飲むことにしました。

フォンターナ

フォンタナは、本日臨時休業です。しかし、房子と二ツ橋は、事務処理仕事をしていました。

「暢子さんは沖縄でどうしてますかね?」

そう聞く二ツ橋。房子は話します。

「沖縄は今、ウークイなの。こっちで言うお盆の送り火。死者を送る日」

そして、「空襲で死んだ妹に、ちょっとだけ似てるの」と房子は感慨深げに言うのでした。妹に似ているのは、暢子の事です。

「あの子がこの店に来てから、いろんなことが動き出した気がする」

そう言って、二ツ橋に思い出話をするのでした。

長い話し

「今日はウークイだし。もう話してもいいよね」

お父ちゃんの遺影に向かって、お母ちゃんは確認していました。

いつかみんなに話さないとと、お父ちゃんと話していたのでした。それが、「たった一つ親の仕事」だと二人で話していたのです。

「長い話になるけど、聞いてくれるね?お父ちゃんとお母ちゃんの昔の話し」

そう言って、お母ちゃんは話し始めるのでした。

それぞれの戦争と賢三

お母ちゃんの実家

おかあちゃんは、古い写真を出してきました。昭和18年ぐらいのお母ちゃんの実家の写真です。与那城食堂の前での集合写真。

「うちの家族と、お父ちゃん。たった1枚残っている写真。
 お父ちゃんがずっと持ってくれていたわけ」

お母ちゃんは、那覇の食堂の娘でした。お母ちゃんの家族は、両親とおじいとおばあ、時恵ねえね、秀夫の7人家族。

時恵ねえねえは、琉球舞踊が得意で、秀夫は賢秀に似ていてやんちゃでした。そして、お父ちゃんはお母ちゃんの家の食堂で働いていました。その食堂の名物が、蕎麦でした。

旅芸人一座

「そこでお父ちゃんと知り合ったわけ?」

そう聞くと、お母ちゃんは「最初はお客さん、芸人一座の一番の下っ端でね」と話します。

先日やってきた上原照賢が、その一座の座長だったのでした。

そして、お父ちゃんが使っていて、今は歌子が使っている三線は、その一座の頃からお父ちゃんが使っていたものでした。

しかし、上原さんの一座は苦しくなって、お父ちゃんは本土に出稼ぎに行くことになりました。

房子の戦前

房子は二ツ橋に話します。

「私の両親はやんばるの出身で、幼い姉を親戚に預けて、鶴見に仕事を探しにきた。
 私は鶴見で生まれたの。だから、私は姉に一度も会ったことがない。
 その姉の息子が、賢三。暢子さんの父親」

賢三は戦前、出稼ぎで鶴見に来ていました。房子は、賢三に会って、初めて親戚というものに会ったのでした。房子は嬉しかったのです。

そして、賢三は明るい若者で、三線は上手いし、県人会にはすぐに馴染んだのでした。

三郎の戦前

「じゃあ、三郎さんは、賢三から三線を?」

三郎の両親は、沖縄生まれの沖縄育ちですが、三郎は鶴見で育ちました。沖縄のことを何にも知らないという悔しい思いで、賢三に三線を教えてもらったのでした。

そして、賢三は民謡歌手になりたいと言って、沖縄に戻ってしまうのでした。

出征

「お父ちゃんは結局、歌手にならなかったの?」

比嘉家でもお父ちゃんの話しをしています。

「どうにもならなくて、お父ちゃんは住み込みでうちの食堂の店員になった」

お母ちゃんはそう言います。しかし、それですんなり結婚とはいきません。

「戦争が始まって、招集されて、中国の方に出征していった」

戦争が二人を隔て、そして結び付けたのでした。

田良島と沖縄

「俺の兄は沖縄で戦死したんです。
 だから、どうしても、鉄の暴風のことを自分で記事にして伝えたかった」

田良島はそう三郎に話します。鉄の暴風とは、第二次大戦末期の沖縄戦で、約3か月にわたって、米軍の激しい空襲や艦砲射撃を受けたことを言います。

戦争で出征した三郎は、終戦後シベリアに連れていかれたのでした。

「何年も、残された家族は生きてるのか死んでるのかわからず、苦労かけてしまいましたよ」

そう言いますが、三郎の妻はちゃんと待っていてくれました。

「寒さと空腹の中、シベリアで死んだ奴らの骨は、まだ日本に帰れないまま。
 いいやつほど、早く死にます」

三郎の声は、暗い響きをさせていました。

お父ちゃんの後悔

お父ちゃんは、戦地でのことをほとんど話しませんでした。

「ただ一度だけ、すごく後悔していることがあるって言ってた。
 まくとぅそーけーなんくるないさ。
 自分が正しいと思うことを守れなかったことを悔やんでいたと思う」

そして、お父ちゃんは、日本に帰国してから、夜「ごめんなさい、ごめんなさい」と、うなされることがありました。

お母ちゃんの戦争

「昭和19年10月10日の大空襲で、那覇は焼け野原。
 家も食堂も全部焼けて、おじいとおばあも亡くなった。そして、米軍が上陸してきた。
 うちは、山の中をさまよってるうちに、お父さんお母さん、ねえねとはぐれてしまった。そして、弟と二人きりになった。
 うちと弟は米兵に捕まって、捕虜収容所で終戦を迎えた」

お母ちゃんの戦争体験。しかし、まだ終わっていません。お父ちゃんは日本に復員しましたが、沖縄には帰ってこれませんでした。

「その頃、沖縄出身の復員兵がすぐに沖縄に帰ることを許されていなかったから。
 沖縄は、日本じゃなくなっていたからね」

そうです、物語の中でも、ついこの前まで、沖縄は日本ではなかったのでした。

房子と賢三

1945年(昭和20年)の冬、鶴見にいた房子。妹・智子と空襲で生き別れてしまいました。

「きっとまた一緒に暮らせると信じて、ずっと探して。
 私は妹を探しながら、焼け跡の闇市で商売を始めた」

そこにやってきたのが、復員してきた賢三でした。しかし、賢三はまるで別人になっていました。

「明るかった賢三がまるで別人。笑わない男になっていた。
 沖縄に帰りたくても帰れなかった賢三は、私の商売を手伝ってくれた。
 人がいいし、料理もできる。頼れる甥っ子だった。
 独りぼっちだった私は、とっても嬉しかった」

そして、その時に賢三の名前が入った包丁を作って、房子が賢三にプレゼントしたのでした。その包丁は、今は暢子が使っています

賢三の裏切り

これからもずっと商売をやって行こうねと、房子は賢三と約束していました。

そして翌年、賢三は沖縄に帰れることになりました。家族の消息を確かめたら、すぐまた戻りますと言っていた賢三。しかし、それっきり。賢三が鶴見に戻ることはありませんでした。

賢三が沖縄に帰ってから1年ほどして、房子の元に手紙が届きました。

「やんばるで結婚した。やんばるで子供を育てたい。約束を守れなくて申し訳ない」

そう書いてある手紙を見て、房子は裏切られたと思い込んでしまったのでした。

お父ちゃんとお母ちゃんの再会

終戦後、お母ちゃんは、あちこちの収容所を転々とさせられて、いつもひもじくしていました。そして、弟も死んでしまったのです。

お母ちゃんが独りぼっちになって、生きる気力もなくなったころ、お父ちゃんと再会したのでした。

お父ちゃんは、自分の親兄弟が収容所にいるんじゃないかと、探しにきたのです。しかし、結局は、戦争でみんな死んでしまっていました。

その時、お父ちゃんがお母ちゃんを見つけてくれたのです。

お母ちゃんを抱きしめるお父ちゃん。お母ちゃんは、「運命の再会だと思った」のでした。

家族の分まで

再会したお母ちゃんとお父ちゃんは、お父ちゃんの生まれ故郷のやんばるに戻って、兄妹のように暮らし始めました。

しかし、お母ちゃんは食べる気がなく、笑うことも泣くこともできなくなっていました。自分だけ生き残ってこの先、生きていても楽しいことは何もないと思っていました。

しかし、お父ちゃんは違いました。お母ちゃんに何度も「家族の思い出を話してくれ」というのです。

「家族の分まで幸せになれ。優子の中に優子の家族は生きている。家族の分まで幸せになってくれ」

そう言われ、お母ちゃんはお父ちゃんと、もう絶対に離れないと決めたのです。

「この人と家族になりたい。この人と生きていきたいって。もう一度、一からコツコツ生きていきたいって」

お母ちゃんの活動

そして、お母ちゃんはお父ちゃんと結婚しました。そして、賢秀が生まれます。死んだ弟にそっくりです。そして、良子、暢子、歌子が生まれました。しかし、嬉しい思いとは別の思いもありました。

「だけど、うちのお父さんとお母さん、ねえねはどこかの山の中に。そう思うと。たまらなかった。そんな時、新聞でこの記事を見つけた訳」

田良島が書いた遺骨収集活動の記事でした。お母ちゃんは、お父ちゃんと相談して、1年に1度でもいいから、お手伝いしようと決めました。

行方不明になっている人は、ほとんど亡くなってるはず。でも、遺品の一つもないと、いつまでも気持ちが割り切れなくて、つらくてたまりません。そんな思いをしてる人が、一人でも二人でも救われたらという思いで、お母ちゃんは活動に参加していたのでした。

田良島の兄

「沖縄で戦死した兄は、骨も戻ってこなかった。今でも、沖縄のどこか山の中にいるんです」

田良島の兄が戦死した時、田良島はまだ10歳でした。兄がどうして死んだのか、理解できない歳でした。

そして、大人になったらわかるのかと思っていましたが、今でもわからないと言っていました。

それには、三郎も何も声を掛けることができませんでした。

終わらない戦争

「房子さんも、陰ながらずっと援助してくれている」

本土で生まれ育った房子は、沖縄の戦争は知りません。しかし、房子の姉、賢三のお母ちゃんは、やんばるにいました。そして、房子は鶴見の空襲で妹を亡くしています。同じようにつらい思いをしてきていました。

「房子さんだけじゃない。善一さんも毎年のように寄付をしてくれている。
 善一さんは本当にいい人さ。いつもうちたち家族の味方でいてくれて。
 だけど、再婚はしない」

お母ちゃんは、そう言うのでした。そして、お父ちゃんと「必ず昔のことを伝えよう」と言っていた約束をやっと果たせました。

「なんで今まで話せなかったわけ?」

歌子がそう聞きます。

「怖くてたまらなかった。何年経っても、ふと思い出すと、泣いてしまうから。
 泣いてしまって、おかしくなってしまうかも。
 秀夫のことを思い出すと。この腕の中で、冷たくなった。うちの腕の中で。
 自分の食べる分を弟にあげたらよかった。死なずに済んだかもしれない。
 もっと遊んだり、働いたり、恋をしたり、泣いたり、笑ったりしたかったはず。
 うちだけ、こんなして食べていていいのか。生きていていいのか。
 終わっていないわけ、うちの戦争はいつまで経っても」

幸せを諦めないで

亡くなった人たちの分まで、兄妹達には幸せになって欲しいと思ってるお母ちゃん。

「幸せになることを、諦めないでちょうだい。ずっとそう思っていた。
 だから、あんたたちには、絶対に家族をなくすような思いをさせないはずだったのに、賢三さんが無理をしていたことに気づいてあげれなかった。
 ごめんね、みんなの大好きなお父ちゃん、守ってあげれなくて。ごめんなさい。
 ずっと言えなかった。ごめんなさい。ごめんなさい」

お母ちゃんの戦争は終わっていません。そして、お父ちゃんが亡くなったことで、さらに長引いてしまっているのかもしれません。

暢子達兄妹は、お母ちゃんを恨んでなんかいません。お母ちゃんのせいだなんて思っていません。お母ちゃんがどれだけ苦労して、どれだけ子供たちを守ってきたのか、よくわかっています。

「お父ちゃんは、ずっとうちたちの心の中で生きてる。会いたいときはいつでも会える」

暢子はそう言います。そして、みんな幸せになることを誓いました。そして、お母ちゃんのことが大好きなことも、再確認しました。

ウチカビ

ウークイの最後は、ウチカビ(あの世で使えるお金)を燃やします。そして、お供え物も一緒に火にくべます。

お父ちゃんの三線で、弾きながら歌う歌子。フォンターナでも、あまゆでも、同じように燃やしていました。

「また、来年ね」

お母ちゃんは、火の粉を見上げ、そう送り出していました。

変化

賢秀の変化

朝、子供の頃と同じように、朝日に祈る賢秀。そこに暢子は起きてきました。

「もう行くの?」

賢秀は、昨日のお母ちゃんの話しをきいて、無性に働きたくなったと言って出ていきました。どうしようもない賢秀の心にも、変化があったようです。

お母ちゃんの変化

お母ちゃんは、共同売店に出勤しました。そこには、善一がいます。

「善一さん、この間の話しなんだけど。ごめんなさい」

やっぱり再婚することは考えられませんでした。優子には、賢三が今でも心に生きているのですから。でも、善一に思ってもらえて、お母ちゃんは嬉しい気持ちもありました。

「もしも、もう一度生まれ変わる変わるとしたら?」

もしかしたらを期待していた善一。断られて来世に期待しています。しかし、優子は言うのでした。

「生まれ変わっても賢三さんと一緒になります。その話は、次の次でね」

善一は、昔から本当に比嘉家のためによくしてくれていました。ちょっと報われて欲しい気持ちもありましたが、残念な結果になってしまいました。

良子の変化

比嘉家には、博夫が来ていました。預かった晴海を連れてきたのです。

「やっとの思いでカレー作って、肝心のご飯を炊き忘れていたわけ
 晴海にさんざん笑われてしまったさ。どうした?」

面白い話をしていたつもりでしたが、良子の顔は暗いままでした。

「ずっと考えていた。うちは博夫さんのことが好きで、ずっと大切な人なわけ。
 だから、絶対に諦めない。いつかまた、3人で暮らししたい。
 博夫さんと晴海は、かけがえのない家族だから」

良子の気持ちにも変化がありました。

歌子の変化

名護中央公民館で行われる、沖縄民謡の練習会。

「今日から新しい仲間が増えました」

そう紹介されたのは、歌子でした。しかし、なかなかみんなの前で挨拶する言葉がでてきません。黙る、歌子。ですが、言葉を絞り出します。

「比嘉、歌子、です。父が大好きだった、沖縄の民謡を歌えるようになりたくてやってきました。どうぞ、よろしくお願いします」

恥ずかしがり屋の歌子が、頑張りました。みんなは暖かく迎え入れてくれていました。

暢子は・・・

「明日、東京に帰ります」

そう電話した相手は、房子でした。元々予定してたのもありますが、仕事を休ませてもらって、久々の帰省で大切な話しを聞けました。そして、房子に電話したのには、聞きたいことがあったからでした。

「あの、オーナーは嘉手刈さんと言う人に、どうして寄付されてるんですか?
 どうして知ったんですか?」

てっきり記事を書いた田良島から聞いたのかと思っていました。しかし、房子は「あなたのお母さんが教えてくれた」と言うのです。

「あなたのお父さんが死んだと聞いた時、私は賢三と仲たがいしたままだった。
 それを後悔した。それで、子供を一人引き取りますと申し出た。
 優子さんから、それはお断りしますと丁寧な手紙をもらった。その中に遺骨収集をしているということが書いてあった」

暢子が行くつもりだったあの時、そんなやりとりがあったんですね。どうして房子がお父ちゃんが亡くなったことを知ったのかは謎でしたが、お母ちゃんが知らせていたのでした。

「それより、青柳和彦さん、どうするの?」

そう聞かれた暢子は、今までと同じ反応をします。

「それは、うちは、もっと仕事がしたいです。恋愛とか結婚は・・・」

しかし、房子は「両方掴みなさい」と言うのでした。

「仕事も結婚も。掴めなかった人たちの分もあなたは全部掴みなさい。諦めたら許さないから。わかった?命令は絶対だからね」

そう言って、電話を切ったのでした。

海を見に

暢子は、海を見に行きました。そこに、突然、和彦がやってきました。

「会いに来た。なんでだか、ここで会える気がして」

そう言う和彦。暢子に急な取材で、昨日から沖縄にきていたことを話します。

「仕事もあったんだけど、実は昨日嘉手刈さんと言う人に話しを聞いた。
 ほらいつか話した、沖縄戦の遺骨収集をしている」

それを聞いて、お母ちゃんにも会ったかと聞く暢子。和彦は暢子には内緒だと言われていたので、驚きます。

「嘉手刈さんにいつかうちも会ってみたい。どんな話しを聞いた訳?」

そう言って和彦に嘉手刈老人の話しを聞きました。

うちの子にならないか

嘉手刈老人は、戦争中にガマからガマへ逃げていました。嘉手刈夫婦には子供がいなかったので、奥さんと二人で逃げていました。その途中、山の中で小さな女の子と一緒になりました。親と死に別れたらしく、かわいそうでした。そして、その子と一緒にしばらく逃げていました。

途中、嘉手刈老人は、その子に言っていました。

「もし逃げ延びることができたら、うちの子にならないか」

しかし、近くに砲弾がばんばん落ちてきて、逃げるのが精いっぱいになりました。土煙で何も見えない状態です。そして、気が付いたら、女の子がいません。知らない間に、女の子の手を放してしまっていました。

振り返ると、遠くでその子が倒れてるのが見えました。しかし、戻ろうと思っても、艦砲射撃が続いていて戻れませんでした。しかたなく、奥さんととにかく逃げたのです。

戦争が終わって嘉手刈老人は、その場所にその子を探しに行きました。でも、地形まで変わっていて、どうしても見つけることができませんでした。

「遺骨収集について、いろんな人がいろんなことを言う。
 でも、難しいことはわからない。
 何も褒められることじゃない。
 誰にも言えず、ずっとあの子を探してるだけなんです」

結婚しよう

聞いた話しをした和彦は、暢子の手を握ります。見つめあう二人。

「僕はこの手を絶対に話したくない。嘉手刈さんの分まで、絶対に絶対に話したくないんだ、暢子」

そう話す和彦にも、大きな変化があったようです。

「ゆうべ、お母ちゃんがお父ちゃんと出会ってからのこと、初めて話してくれた。
 うちは恋愛や結婚には向いてないと諦めていた。
 うちの人生にそういうのは関係ないって。
 だけど、ゆうべお母ちゃんの話を聞いて、当たり前の事に気づいたわけ。
 お父ちゃんとお母ちゃんが幸せになりたくて結婚したから、うちは生きている。
 うちも幸せになりたい。とことん、幸せになりたい。
 幸せになりたくてなりたくて、ちむどんどんしてる。
 絶対、何があっても諦めない」

そう言う暢子を見つめる和彦。

「うち、和彦くんのことが、好き」

暢子は和彦の手を握り返します。

「和彦くん、うちと結婚して下さい」

そう言われた和彦。

「うん、結婚しよう」

そしてキスをしました。抱き合う二人の姿がありました。

最後に

1週間で、たった1日を描くのには、びっくりました。確かに、「長い話し」になっています。

お父ちゃん・賢三とお母ちゃん・優子だけでなく、房子と三郎。そして、沖縄の人達の話しです。悲しい話しです。しかし、亡くなった人達のためにも、前を向いて歩くしかないのです。

お母ちゃんが、賢秀に甘すぎる理由もわかりました。亡くなった弟と重ね合わせていたんですね。そして、いつも幸せになることを諦めない姿は、ちゃんと子供たちにも伝わっています。

沖縄のお盆は旧暦で行われていて、そのタイミングでこの話しになりました。

来週の予告

来週は、和彦の母親と対決が待っています。また、いつものドタバタに戻りそうで、良かったです。