新聞社 で働くことになった暢子が運命の再会をします。
波乱の暢子と歌子。そして、良子は頑張りました。
以降、ネタバレを含みます。
暢子の生活
1年半が経過
東京に出て、フォンターナで働くようになって1年半が経ちました。
そんな暢子は、前菜の一部を任せられるようになっています。
そして、豆腐屋の智は食品卸の会社で修行中。フォンターナにも出入りしています。
そんな時、オーナーの大城房子は大学の教授と面会していました。話し合っている内容は中世イタリア史でしょうか。しかし、房子は小学校しか出ていないようです。
「勉強熱心な方ですから、一流の文化人や学者が集うサロンになっている」
シェフの二ツ橋はそう言います。「料理人は料理さえできればいい訳ではない」というのが房子の持論です。高級を謳うだけあって、幅広い視野が必要なんですね。
世間知らず
「誰か新聞知らない?この新聞今日のよ!使う前に日付ぐらい確認しなさいよ!」
今日の新聞を野菜を包むのに使っていた暢子。房子に怒られてしまいます。
さらに、新聞社の記者と淀川晴夫(演劇評論家)がフォンターナで会食しています。そこに料理を出す暢子。淀川が質問することに全く答えられませんでした。
提供している料理のことも、イタリアの地名も場所も、店の名前の意味と由来さえも答えられませんでした。
「今日限り、クビ」
房子に呼び出されて、そう言われてしまいます。
「沖縄の言葉を使うのは個性として認める。だけど、時と場合をわきまえた会話、言葉遣いができなければ、客商売はやっていけない」
厳しくも当然と言えば当然の房子の発言でした。ただ、今から言う条件を飲めば、クビは撤回してあげると条件を出されます。
「東洋新聞で ボーヤさん をしてきなさい」
雑用のアルバイトのことを東洋新聞では「ボーヤさん」と呼ぶようです。ボーヤさんとしてある程度の評価を得られたら、この店に戻してあげるというのが条件でした。
新聞社
そして、東洋新聞の学芸部で働くことになった暢子。
学芸部デスク、田良島甚内に仕事を教えてもらいながら、雑用をこなします。しかし、勝手が違いすぎて、メチャメチャです。
電話を取っても相手の名前も聞かず、敬語も尊敬語も使えません。田良島からは「人柄100点満点」と言われていますが、極端な世間知らずです。
その時、田良島と房子が電話をしていて、田良島が「オーナーが期待しているだけのことはある」という表現がありました。なんだかんだ言って、ただ意地悪してるだけじゃないようです。
再会
新聞社で働く暢子が再会したのは、「俺が守ってやる」と言っていた青柳和彦でした。
中学生の時は、丸くて頼りなかった和彦がシュっとしていました。
「立派になったね」
そう言って暢子は懐かしがります。そこへ、和彦の同僚で恋人・大野愛がやってきて、紹介されます。ファッション関係の記者を目指している、オシャレな彼女です。
そんな和彦が、暢子の下宿で生活することになりました。和彦のお母さんは、鶴見で下宿するのを反対したようです。しかし、和彦は「母は母」と一向に気にする感じではありませんでした。
そして、突然の訃報です。和彦に「お父さんは元気?」と聞いた暢子ですが、返って来た和彦の答えは実にあっさりでした。
「亡くなったんだ、東京に帰ってすぐ病気で」
しかし、山原で過ごした夏は特別な思い出になっているようです。新聞記者になった理由も、地方の文化に興味があるからでした。大学の先生で民俗学を教えていた父親に似ていました。
タルデッリ
ボーヤはじめて半月が経った時、和彦が田良島に直訴していました。
「我が生涯最後の晩餐を僕に書かせて下さい」
「我が生涯最後の晩餐」は、著名人が人生最後に食べたい思い出の食について語る、東洋新聞きっての人気企画でした。
そして、和彦は「食は文化という視点に立って読者に共感をえられる深い記事を書くべきだと思います」と意気込みを語っていました。
しかも、アレッサンドロ・タルデッリに取材したいといいます。タルデッリは、故郷ミラノの地元食を生かした料理人で三つ星レストランのシェフです。たまたま来日していましたが、大のマスコミ嫌いで偏屈だと噂の人物です。
そして、和彦が交渉してみますが、ダルデッリの代理人からは取材は一切受け付けていないと言われてしまいます。
せっかく直訴して書くことを許された企画ですが、取材できなければそれでおしまいです。そんな時、田良島から下宿に電話が入ります。
「明日、うちでタルデッリの取材ができることになったぞ。ブレーンがいてな」
新聞を大好きになろう作戦
新聞を読んで新聞を大好きになろう大作戦で、暢子は新聞を読んでいます。しかし、ぜんぜん好きになっていないようです。
「やっぱりうちには料理の方が向いてるかと」
田良島にそう言います。しかし、田良島は新聞も料理も一緒だと言います。
「料理も新聞記事も同じ。料理は一番食べてもらいたい誰かを思い浮かべてその人のために作る。新聞も一番伝えたい誰かに向かって書く。今この記事を、思いを誰に伝えたいかそれが一番大事」
そう言われて、暢子は新聞を読んでみるのでした。
取材日
タルデッリが東洋新聞社にやってきて、取材を受けます。どうやら、日本語が話せるようです。
「まず、イタリアは世界の中でも特に地方の郷土料理こそが、文化の源であるという傾向が強い・・・」
取材はいい雰囲気で進んでいきました。そして、最後の質問です。
「最後にあなたが人生の最後に食べたい思い出の料理は何ですか?」
の問いに「ピッザ・マルゲリータ」そうタルデッリは答えました。
取材が終わり、みんなでマルゲリータを食べます。そこに田良島がやってきました。
「青柳、これのどこが新しいんだ?」
書いた記事を読んで田良島は問いかけます。
「イタリア北部ミラノ出身の料理人が何でピザなんだ?
ピザは南部の料理だろ。なんらかの理由がないと出てこないはず。
いつどこで誰と食べたのかは聞いているよな?」
しかし、聞いても教えてくれませんでした。それを聞き出すのが新聞記者の仕事だろうと田良島に怒られててしまいます。追加取材を申し込むように言われました。
再取材の条件
しかし、和彦はタルデッリに電話をしますが、繋がりません。
「ごめんなさい。うちがイタリアのことを知っていたら」
イタリア料理の料理人を目指していますが、暢子はイタリアのことを知らないので、責任を感じてしまいます。しかし、和彦は「全ての責任は僕にある」と言って、暢子に非がないことを伝えます。
そこへ田良島がやってきます。そして、再取材の交渉すらできていない状況に、また頼んでみるかと言って電話を掛けました。かけた先は房子でした。
もともとタルデッリが取材を受けてくれたのも房子のおかげでした。房子はイタリア修行時代にタルデッリの兄弟子と仕事をしていました。そのつてで取材を受けてくれのでした。
フォンターナに呼ばれた和彦、愛、暢子。房子から再取材を引き受けてくれたと聞かされます。ただし条件がありました。条件は、
「明日の朝までに投書記事を探すこと。
1960年代のどこかで東洋新聞の投書欄にある女性の投書が記載された。
それを探してくれたら、明日の朝30分だけ追加取材を受けてくれる。
わかっているのは、ピザのことを書いた記事だということだけ」
これはもう、探すしかありません。
記事を探す
そして、新聞社に戻り、当初記事を探す和彦、愛、暢子。
10年分の縮小新聞を見ますが、いろいろな記事がありまいた。東京オリンピックのことや、沖縄から出てきたうちなんちゅの体験など。しかし、目当ての記事はそんなに早く見つかりません。
「帰っていいよ、明日の朝までにっていうのは・・・」
諦め気味の和彦ですが、愛も暢子も和彦を勇気づけます。そして、徹夜して探していました。
やっと日が昇ってから記事を見つけることができました。投書のタイトルは「思い出のマルゲリータ」でした。
マルゲリータの思い出
昭和18年、イタリアの軍艦が神戸港に入港しました。タルデッリもその軍艦に乗っていたのでした。
そして、イタリアの降伏。しかし、タルデッリはそのまま日本に残りました。そこで、日本人女性と一緒に暮らし、シェフをしながら一緒に生活していました。その時食べたのが、店で残ったマルゲリータでした。タルデッリは日本人女性・光子と一緒に食べたのが思い出です。しかし、二人は結婚を反対され、タルデッリは失意のままイタリアに帰国してしまったと言うのです。
その追加取材をし、記事を書き直す和彦。なかなかOKが出ません。最終的には田良島の手が多く入った原稿になりました。
その和彦の記事を読んだ、東洋新聞の看板コラムを書いてる記者・天城勇一が和彦の所にやってきて感想を言ってくれました。
「秀逸な記事だった、感動したよ」
そして、房子から電話を受けた田良島が暢子に伝えてくれました。
「フォンターナ、戻ってこいって」
暢子は、新聞社での経験から、イタリアのことを勉強したようです。淀川晴夫に料理のことを質問されて、しっかりと答えられるようになっていました。
歌子の冒険
相談
歌子はオーディションのチラシを見ていました。相談するために暢子に電話する歌子。
「運送会社の事務の仕事に内定した。善一さんが口を聞いてくれた」
相談の前に近況報告です。善一さんは、本当に比嘉家のために良くしてくれます。
「体調はどうかね?」
歌子の体調を気遣う暢子に、「今は、大丈夫」そう答えました。
「それでね、相談と言うのは就職のことじゃなくて・・・」
本題に入る前に電話が切れてしまいました。公衆電話から10円を入れて電話するのが大変な時代でした。
県人会会長の三郎も、歌子の体調を気にかけてくれています。
「一度ちゃんと医者に診てもらったほうがいいんじゃないか?」
そうしたいと思う暢子。とても心配です。
挑戦する気持ち
「アマキレコード新人発掘オーディション、次の南沙織はキミだ!」
受けようかと、オーディションの応募の手紙出そうか悩む歌子。やっぱり暢子に相談してみます。
「うち、歌手のオーディション受けてみようと思って。
就職は嫌じゃないけど、このまま何もできないまま卒業するのは嫌だなって思って」
しかし、まだお母ちゃんや良子には話してないようです。挑戦したいという気持ちを暢子はわかってくれるんじゃないかと思って、暢子に相談したのでした。
「うちは体も弱いし、何の役にもたってない。取り柄といえば、歌しかない」
そんな歌子を応援すると暢子は誓います。でも、お母ちゃんには言っておいた方がいいよと言っておきました。
それを聞いて、歌子は手紙を投函しました。
一次オーディション
そして、山原で新人歌手オーディションが開催されていました。
「112番、比嘉歌子さん」
呼ばれて立ち上がりますが、超緊張状態。歌える感じではありません。
「5分あげるから緊張ほぐしてきて」
そう言われて退出する歌子。どうしようもない時は、暢子に電話します。
「暢ねえねえ、うち歌えない」
そんな歌子に暢子はどこかで聞いた話をするのでした。
「歌子、うちのはなしをよーく聞いて。
歌も料理も同じ。料理は一番食べてもらいたい人を思い浮かべて作る。
歌は一番聞いてもらいたい人のことを思い浮かべて歌う、わかった?」
すごいと歌子に褒められます。これは、田良島が言った言葉のパクりですが。
その言葉を聞いて、歌子は歌うことができました。歌った歌は「翼をください」でした。
合格
ある日、歌子は熱を出して寝ていました。
そこに、郵便が届きます。歌子は飛び起きると、自分で受け取ります。
「予選合格、最終審査のご案内」
緊張しましたが暢子の言葉で上手く歌えたようです。
「やった!受かった!合格した!」
と、お母ちゃんと良子に見せますが、オーディションのことは言っていませんでした。
最終審査
最終審査当日も、歌子は熱を出していました。
「まだ熱があるね。どうしても行きたいの?」
そう聞かれて、うんと頷く歌子。良子は、もう臨月に入っているようですが、あ母ちゃんに歌子について行ってあげてと言って、二人を行かせました。
しかし、歌子は体調が戻っていないので上手く歌えません。歌の途中で倒れてしまいました。
歌子が目を覚ますと、そこは家でした。
「うち、なんでここに?オーディションは?」
取り乱す歌子にお母ちゃんは「失格って」と一言告げました。それを聞いて、溜まっていたものが歌子から吐き出されます。
「もうイヤ、また肝心な時になんでこんなんなるわけ?
良子ねえねは先生になった。暢ねえねはコックになった。
なんでうちだけ何にもなれないわけ?
病気ばっかりして迷惑かけて、なんでうちだけ。。。。」
大泣きする歌子にお母ちゃんは優しく語り掛けます。
「自分でオーディション出るって決めて、知らない人の前でも歌って、すごいことだと思うよ。
急がなくていい、歌子は歌子のままでゆっくり歩いていけばいいさ」
でも、悔しくて悔しくて大泣きする歌子。お母ちゃんは「よく頑張ったよ。お母ちゃん、とっても誇らしい」と言って抱きしめるのでした。
良子の出産
里帰り
里帰り出産のために良子は比嘉家に戻ってきました。お腹はだいぶ大きくなっています。
お母ちゃんの前でいちゃつく良子を見て、お母ちゃんは笑顔です。
良子は決めたことがありました。お母ちゃんと歌子に報告します。
「出産したら仕事辞めることにした。
考えに考えて、博夫さんとも何度も話しあって、最後は自分で決めた。
教師の仕事は替えがきくけど、この子の子育ては私しかできないことだから」
良子は先生になりたくて、結婚しても先生の仕事は絶対に辞めないって言ました。しかし、母になると言うことは、それほど大変なことなんですね。
お母ちゃんは二人で決めたことなら何も言うことないと言って認めてくれました。暢子に仕送りしてもらっていて、少しは生活は安定しているようです。そして、良子にも結婚前は、毎月給与を家にいれてもらっていました。
心配
良子の夫・博夫は福岡で研修会に行きます。予定日までには帰る予定のようです。
博夫には生まれる子供も含めて3人分稼いでもらわないといけません。
しかし、良子は心配していました。
「お母ちゃん、うち母親になれるかな。うまく育てられるか自信がない」
そういう良子にお母ちゃんは優しく話します。
「お母ちゃんも同じだった。大丈夫、子供がお母ちゃんにしてくれるから」
そう言って、良子を励ますのでした。
生まれる
歌子のオーディションが終わって、急に産気づく良子。
産婆の新垣のおばあをお母ちゃんが呼んでくる間、歌子が良子のそばに付き添います。
良子は「怖い」と言って、歌子の手を握ります。そして、歌子に歌を歌ってくれるように頼みます。
歌子は良子と生まれる子供のために一生懸命歌います。何かあった時は必ずこの歌を歌います。歌は「椰子の実」です。
そして生まれたのは女の子でした。
歌子も赤ちゃんの顔を覗き込みます。そんな歌子に良子は「抱いてあげて」と言います。良子は無事出産できたのは歌子のおかげだと言います。
「はじめまして、おばちゃんですよ」
そう言って赤ちゃんに挨拶しました。
博夫は結局出産に間に合いませんでした。考えていた赤ちゃんの名前はみんな男の子です。今すぐ女の子の名前を考えてと良子に言われてつけた名前は「晴海」でした。
賢秀の生活
「そう言えば、ニーニーどうしてるかな?」
そう良子に思い出された賢秀は、千葉の猪野養豚場で働いていました。
賢秀は養豚場の娘・猪野清恵に話していました。
娘?猪野清恵
「悪いけど、長居する気はないからね。
俺は豚の世話をするために沖縄から出てきた訳じゃないからさ」
そんな賢秀に「じゃあ、何しに出てきたの?」と清恵は聞きます。
「ビックなビジネスをしかけて、星を掴むためやさ」
呆れる清恵。清恵でなくても、もう呆れています。
そして、最後には前借りするだけして、置き手紙を残し、いなくなるパターンです。
「部(倍)にして返す」
守られない決まり文句です。
歌子のその後
「暢ねえねえ、オーディション、ダメだった」
そう暢子に報告する歌子。でも、良子に子供が生まれて、歌子はちょっと変わったようです。
「強いおばさんになる。
この回り道にはきっと意味があると思って。
歌い続ける。歌が大好きだから」
そして、歌子は高校を卒業して就職しました。善一さんが斡旋してくれた運送会社の事務です。
歌子は、働いたお給料で比嘉家に電話ひきました。早速、暢子に電話です。
「すごいねー!今度電話で話したいこと手紙で書くからねー。あい?おかしいかな」
暢子の言うことはだいぶおかしいですが、比嘉家もだいぶ進歩的で文化的な生活を送れるようになりました。
最後に
フォンターナの大城房子が与える試練は、暢子を成長させています。
コックから新聞社のアルバイトへ行かせるのはどうかな?とも思いますが、一応成果を得ることができました。なにより、和彦と再会できたのが良かったですね。
しかし、和彦と愛、それと暢子の関係はどうなっていくのでしょうか?
来週もなんだか大変そうです。