頼朝の兄弟 鎌倉殿の13人(18) ネタバレあり

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頼朝の兄弟 は、ぼぼいなくなってしまいました。

しかし、範頼を誅殺する必要はあったんでしょうか?頼朝は、誰も信じられなくなっているような気がします。

ドラマでは描かれなれていなかった頼朝の兄弟(源義朝よしともの子供)について、まとめてみました。

頼朝の兄弟(頼朝以外)

長男・義平

義平よしひらは、長男ではありますが、正妻から生まれた子供ではありません。母は、公家の女性だったようです。

平治の乱の時には、関東にいたようです。そして、父・義朝より兵を率いてくるように言われて京にのぼります。連れて行ったのは、三浦上総介・山内首藤などでした。

平清盛がいない時に兵を上げましたが、清盛が戻ってくると形勢は逆転してしまいます。義朝、義平は敗れて、関東を目指して落ち延びます。

しかし、途中で父・義朝の死を聞かされ、京へ戻ったようです。

そして、捕らえられ、六条河原において処刑されました。

次男・朝長

朝長ともながも、正妻の子供ではありませんでした。母は相模さがみ波多野はたの氏の女性です。

その関係もあってか、所領は相模国松田郷を領していました。そのため、松田冠者まつだのかじゃと呼ばれていたようです。

父・義朝、兄・義平と共に平治の乱に出陣しますが、敗れて父や兄と共に関東を目指します。

しかし、朝長は途中でケガをして動けなくなってしまいます。そこで、義朝は足手まといになるとして、朝長を殺してしまいます。これは、朝長が父に殺すように言ったという説もあります。

丁重に埋葬されていましたが、平氏が掘り起こし首を切り、父と共に六条河原でさらされました。

四男・義門

義門よしかどは、頼朝と同じ正妻の子供です。

しかし、小さい頃になくなったようで、詳細はわかっていません。

ただ、平治の乱まで生きていたという説もあります。

五男・希義

希義まれよしは、頼朝と同じ正妻の子供です。

平治の乱の時にて母方の伯父・藤原範忠のりただによって、朝廷に差し出されました。そして、土佐国に流罪になりました。そのこともあって、土佐冠者とさのかじゃと呼ばれていたようです。

頼朝同様に流罪になった希義は、頼朝の挙兵を聞いた平氏に兵を向けられます。逃げようとした希義ですが、捕まり殺されてしまいました。

なお、希義を討った蓮池家綱はすいけいえつな平田俊遠ひらたとしとおは、後日希義のかたきとして頼朝により殺されています。

六男・範頼

範頼のりよりは、遊女の子供だと言われています。しかし、遊女ではなく地方豪族の娘の可能性もあるようです。

遠江とおとうみ蒲御厨かばみくりで生まれ育ったため蒲冠者かばのかじゃと呼ばれていました。ドラマでも「蒲殿かばどの」と呼ばれていました。

源平合戦

範頼がいつ頼朝軍に合流したのかは定かではないようです。

しかし、源義仲、平氏との闘いでは、頼朝に変わり総大将として戦っていました。

武勇や知略では義経に及ばないかも知れませんが、関東武士をまとめていたことは、間違いありません。関東武士は関東武士で、頼朝の弟だからと命令に従っていたということはあるとは思います。

平氏と戦うだけでなく、中国・九州地方の豪族を従わせて、平氏を追い込みました。

そして、壇ノ浦で平氏が滅亡すると、戦後処理を行っています。この時、勝手に振る舞う義経に対して、逐一頼朝に報告していたのが範頼でした。

曾我兄弟の仇討ち

ドラマにもありましたが、仇討ちの際に「頼朝死亡」の連絡が鎌倉に入ります。

その時、「(頼朝がいなくても)自分がいる」と言ったことになっています。しかし、政子が頼朝に言って範頼を排除しようとしたという説もあります。ただ、朝廷に文を送ったというのは、なかったのかもしれません。

ドラマでも描かれていた「起請文きしょうもん」については、「源範頼」という表現を問題にされていました。頼朝とその子供達が使うのには問題がないが、他の兄弟は使ってはいけないというものです。これを聞いた範頼が、手下を頼朝の寝所に忍び込ませたことが謀反の決定打となったという説もあります。

とにかく、頼朝に目を付けられ、幽閉されてしまいました。

そして、誅殺されてしまうのですが、実は死んでないという説もあります。

ただ、頼朝の乳母でもある比企尼ひきのあまの嘆願により、範頼の子供は助命され、その子孫が吉見氏として続いたとされています。

七男・阿野全成

阿野あの全成ぜんじょうは、常盤御前の子供です。幼名は、今若いまわかでした。

義朝が討ち死にしたため、幼くして仏門に帰依しています。

ドラマでは、序盤から出てきていたので細かい説明はしません。

ただ、ここからがネタバレです。

頼朝が死ぬと、後継者が頼朝長男・頼家よりいえになります。しかし、次男・実朝さねともを将軍にしたい阿野全成と北条氏は、頼家派と対立します。

そこで、頼家は謀反人として阿野全成を捕まえ、幽閉してしまいます。そして、常陸ひたち国に流罪となり、頼家の命を受けた八田知家によって誅殺されてしまいます。

八男・義円

義円は、常盤御前の子供です。幼名は、乙若おとわかでした。

阿野全成と同様に小さいうちに仏門に帰依しました。

頼朝が兵をあげると、ドラマでは合流したように描かれていました。しかし、実際には鎌倉にきたようなことは、なかったようです。そして、義経に唆されたというのもなかったようです。

ただ、叔父・源行家ゆきいえと一緒に戦っていました。そして、討ち死にしてしまいました。

九男・義経

義経よしつねは、常盤御前の子供です。幼名は牛若うしわかでした。

有名ですし、以前義経伝説については、まとめてあります。そちらをご覧ください。

義経伝説その1

義経伝説その2

ただ、義経は兄弟の中でもかなり異質な存在だと思います。常盤御前の血なのか、育った環境なのか、よくわかりません。かなり義経伝説として作られている気もしますし、他の兄弟が貶められているような気もします。

最後に

ドラマは、どんどん殺伐とした状況になっていっています。

来週あたり、もしかすると鎌倉殿が・・・・・・なんてことも考えてしまいます。

ナレーションで「頼朝の命は短い」的なことを言ってました。

来週の予告

「死ぬかと思った」という前振りが気になります。

来週も楽しみです。