燦燦 ちむどんどん(25) ネタバレあり

映画・ドラマ
朝ドラ

燦燦 はちむどんどんの主題歌のタイトルです。

太陽の光が燦燦と降り注ぐ翁に帰ってきた暢子。暢子は、新たなスタートを切ります。

そんな第25週のネタバレです。

ちむどんどん公式HP

主な登場人物

青柳暢子のぶこ  黒島結菜  旧姓比嘉。やんばる生まれ。自分の店をもつ
青柳和彦  宮沢氷魚  暢子の幼馴染の元新聞記者。暢子の夫

比嘉優子  仲間由紀恵 暢子の母。共同売店で働く
石川良子  川口春奈  暢子の姉でやんばる小学校の先生
石川博夫ひろお  山田裕貴  良子の夫で名護の小学校の先生
比嘉賢秀  竜星涼   暢子の兄。猪野養豚場の婿

砂川歌子  上白石萌歌 暢子の妹。体が弱いが歌は上手い
砂川さとる   前田公輝  歌子の夫でスナカワフーズ社長
大城房子ふさこ  原田美枝子 フォンターナのオーナー

青柳重子しげこ  鈴木保奈美 和彦の母
矢作知洋  井之脇海  ちむどんどんの従業員

第25週のストーリー

畑仕事

1985年(昭和60年)5月。暢子が沖縄に帰ってきて、もう1年です。

やんばるの畑では、暢子が収穫していました。

「のぶこー暢子の畑はいつも元気やんや」

おばあに声をかけられた暢子は、畑仕事の楽しさを話すのでした。

「だからよ。野菜が元気に育ってくれるから、うちも畑に来たくてうずうずするわけ」

そして、暢子は共同売店で、おばあ達に早家のことを聞いていました。

「ウニの殻を肥料にするのもいいね。砕いて埋めて腐らせると、いい土になるよー」

そういう畑や野菜の知恵を分けてもらっているのでした。

健彦の成長と変化

そんなところに、もう小学生になった武彦が帰ってきました。

「お母ちゃん、ただいまー」

東京では暢子のことを「ママ」と呼んでいましたが、沖縄に帰ってきて「お母ちゃん」に変わっています。

健彦は、友達と一緒に走り回っています。

「おばあ、サーターアンダギー食べたい」

お母ちゃんにそう言う健彦。東京では「ばあば」でしたが、沖縄に帰ってきて「おばあ」に変わりました。

歌子のその後

比嘉家では、暢子、良子、歌子の三姉妹と夫たちが集まって、時々食事をしています。

「歌子ちゃんは、もう豆腐屋の仕事手伝ってるの?」

博夫に聞かれて、歌子は「うん、少しずつ」と答えます。

「お客さんの人気者で、お母ちゃんもでーじ喜んでるさ」

智にとっては、自慢の妻です。そして、その智の会社「スナガワフード」も順調のようです。

歌子は時々歌う仕事をしながら、豆腐屋の仕事も手伝っています。

良子の時のような「嫁vs実家」の争いもなさそうで、安心しました。

その後の賢秀

賢秀も清恵と結婚し、男の子・比嘉健太が生まれました。清恵の実家の養豚場で働いている賢秀は、マスオさん状態でしょうか。

「もういいから、豚舎の掃除」

清恵には、相変わらず雑に扱われている賢秀でした。

東京ちむどんどん

暢子が矢作に引き継いだちむどんどんは、矢作の妻・佳代が手伝っています。

お店は、相変わらず繁盛しているようです。

和彦の仕事と生活

夜、暢子が健彦を寝かしつけていると、三線が聞こえてきます。弾いているのは、和彦です。

和彦は、東京の出版社に送る原稿を書きながら、沖縄のあっちこっちに取材に出かけ、執筆に明け暮れていました。やりたい仕事をマイペースにする和彦でした。

そして、野菜を作りながらおくる生活は、ほぼ自給自足の生活です。お金をほとんど使わないので、生活できていました。

郷土料理の勉強会

比嘉家の庭にテーブルを出して、郷土料理の勉強会をしていました。暢子が沖縄に帰ってきてから、毎週日曜日にやっています。

作ったものは、パパイヤの漬け物、かぼちゃの酢の物、モーイ豆腐、タコと小豆の汁物、シマナーンブシー、貝のジューシー。

「野菜の食べ方、昔ながらの料理も、まだ知らないことたくさんある。うちは、もっともっと知りたい」

独特な沖縄料理を作る人が少なくなっているようです。地元のおばあ達は、自分達の代でなくなってしまうかもしれないと思っています。暢子は、料理の伝統が途絶えないようにと考えているのでした。

そこに、善一とまもるちゃんがやってきました。懐かしい料理を見て、善一が言います。

「こういうのを食べられるお店がないからね」

その言葉を聞いて、暢子は思いつくのでした。

「うちはこの村でレストランを開きたい。自分なりの工夫もしたいし、もっとみんなに食べてもらいたい」

しかし、具体的に何かを決めた訳でなく、これからやって行こうと思うのでした。

家でレストランをやりたい

夜、縁側に座る暢子。書き物をする和彦と繕い物をするお母ちゃん。

「この辺は戦前から、出稼ぎで大工修行に出た人が多いそうですね」

和彦はお母ちゃんに聞きます。

「賢三さんも昔、この家を一人で建てた。少しずつ、働きながら何年もかけて」

それを聞いた暢子は閃きます。

「それだ。どうして思いつかなかったわけ?できる!レストラン。お母ちゃん、お願い。ここで、この家で、レストランを、食堂をやりたい」

突拍子もない提案ですが、お母ちゃんはすんなり受け入れてくれました。

「あい、おもしろそうだね」

その言葉を受けて、暢子は動き出します。

翌日、良子、歌子、和彦、智を集めて、暢子は手書きの図面風イラストを見せます。

「本当にここで食堂を?いつごろまでに?」

良子にそう聞かれると、暢子は「何年かかってもいい」と言うのでした。

「そうと決まれば、まずは資材の調達を」

智が動き出そうとしますが、お母ちゃんが善一に相談してくれることになりました。

ゆいまーる

善一はいつも比嘉家の力になってくれる頼もしい存在です。

「おい、持って来たよ。あちこち声かけて、余った材料とか、少し集まったよ」

そう言うと、リアカーに沢山の木材を乗せ、仲間たちと一緒に引いてきてくれました。喜ぶ暢子に善一は言います。

「なに言ってる。ゆいまーる。みんなで助け合い。」

仲間たちも、みんな協力してくれます。

「暢子ちゃんの食堂、みんな楽しみにしてるよ」
「毎日は無理でも、手伝いに来れる時はくるからさ」
「暢子、お店ができたら、まーさん料理食べさせてよ」

こうして暢子は、やんばるで新しい夢に向かって動き出したのです。

房子の初沖縄

バス停にバス来て、降りてきたのは房子でした。

「あーーー!!オーナー!」

暢子が迎えに出てきました。抱き着こうとする暢子に房子は言います。

「暑苦しい。ただでさえ暑いんだから」

でも、なんだか楽しそうです。

通りかかったまもるちゃんが、房子の荷物を運んでくれます。突然荷物を持って行かれ、驚く房子。

「あ・・・知り合い?」

暢子は当たり前のように答えます。

「まもるちゃんです」

そんな暢子に房子は、お母ちゃんのことを尋ねます。

房子がやってきたのは、お母ちゃんに大事な話があるからでした。

大里の探している人

売店までやってきて、涼む房子。お母ちゃんが対応します。

「東京から、今夜、大里さんがいらっしゃいます。与那城優子と、与那城秀夫を探したいと」

それを聞いて驚くお母ちゃん。

「与那城優子、結婚する前にうちの名前です。それと秀夫は、うちの弟です」

房子は当然、それを知っていて沖縄にやってきたのです。

「全国の沖縄県人会に問い合わせが回り、私が三郎さんから頼まれて、どうしても伝えたいことがあるそうです。優子さんのお姉さんのことで」

そう言うと、その大里がくるのを待つことになりました。

海を見るお母ちゃん。思い出すのは、琉球舞踊を踊る姉の姿です。

姉のジーファー

そして、大里がやってきました。

「突然すみません。大里五郎と申します。こちら、娘の悦子です」

悦子は、足が悪い父の付き添いです。それにお母ちゃんが答えます。

「比嘉優子、旧姓与那城優子です。娘の、良子、暢子、歌子。暢子の夫の和彦です」

暢子達は、台所から頭を下げました。

房子は、大里の状況を説明しました。

「大里さんは戦後東京に移住され、町工場を経営なさっていたそうです」

それを受けて、大里は来た目的を話しました。

「ええ、もう東京に40年。島の言葉も忘れました」

去年、大里の妻の遺品を整理していて、大里が見つけたものがありました。それは、ジーファーです。沖縄のかんざしで、そのかんざしには「トキエ」と掘られていました。

「姉のジーファーです」

驚きながら、お母ちゃんは、そう答えました。

時恵の心残り

大里は、ジーファーを持っている理由を話し出しました。

「40年前、沖縄戦のさなかで、私がトキエさんの、あなたのお姉さんの、最期を看取らせてもらいました」

ある日、焼け残った小屋に逃げ込むと、そこにお母ちゃんの姉・時恵が隠れていました。お母ちゃんは、両親と姉と離れ離れになって逃げていたのです。

「お父さんとお母さんは、機銃掃射にやられて亡くなったと。お姉さんも、撃たれていて、どうみても長くは・・・。小さな握り飯を私たちにくれて、自分はもう食べられないからと。
 はぐれてしまった妹と弟がいる。妹は与那城優子。弟は秀夫。
 もしも会えたら、伝えて欲しいことがあると。見捨てたんじゃない。必死に探したけど、見つからなかった。そう伝えて欲しい。無くなる直前にそのジーファーを妹に渡して下さいと」

時恵の言葉が、やっとお母ちゃんに届きました。見捨てられたなんて思っていません。しかし、時恵は心残りだったのでした。

帰ってきてくれてありがとう

「これは、姉の宝物です。姉が両親におねだりして、買ってもらったものです。ありがとうございます。本当に。姉は、どんな最期でしたか?」

大里は苦しそうな顔で話し出しました。

「お亡くなりになる前、水を欲しがりました。のどが渇いた。お水を下さい。少し水は持っていました。だけど、私は水はないと言いました。自分たちの明日からのことを考え、食べ物をもらっておきながら、嘘をついて水をあげなかった。ごめんなさい、本当に申し訳ありませんでした」

大里は手をついて、頭をさげました。

「最期を看取って下さり、ありがとうございます。生きているのか、死んでしまったのか、ずっと分からなかった。だけど、ようやく、本当にありがとうございます」

大里に恨みごとなどありません。おかあちゃんは、ただ看取ってくれたことに感謝するのでした。

「ねえねえ、うちは、秀夫を守れなかった。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。帰ってきてくれてありがとう」

ジーファーにお母ちゃんは語り掛けるのでした。

今夜は満月です。三線を弾き、歌う歌子。大里親子や房子、子供達の前で、姉の得意だった沖縄舞踊をお母ちゃんが踊ります。お母ちゃんの髪には、姉のジーファーを付けていました。

墓参り

翌朝、房子はお母ちゃんと一緒に、お父ちゃんの墓参りに行きました。お父ちゃんと房子は、お父ちゃんが約束を守らなかったことで、仲たがいしたままでした。仲直りできたのでしょうか。

「聞いていた通りの島だった。両親がよく言っていたんです。世界で一番美しい島だよって」

房子が沖縄にくるのは、これが初めてです。

「いろんなことが変わりました。だけど、この海は変わりません」

房子は草履、足袋を脱いで、はだしで歩きます。

「故郷を知らずに育ち、自分の境遇を恨んだこともある。だけど、今は・・・ただいま!ありがとう。優子さんのおかげです。ああ、沖縄に来て良かった」

やっと故郷に来ることができた房子は、解放された感じがありました。

見送り

暢子が料理を作っていると、歌子が家に帰ってきました。大城親子をバス停まで送って行ったのでした。

「大里さん、みなさんによろしくって。お母ちゃんたちは?」

お母ちゃんと房子は墓参りに行き、その足でバス停に行くようです。

「行かなくていいわけ?オーナーさんも帰るんでしょ?」

歌子にそう言われますが、暢子は何も答えませんでした。

バス停では、お母ちゃんが房子を見送っています。そこに暢子が、走ってきました。

「オーナー、また来た下さいね。必ず、また来てください」

バスを追いかけながら、暢子が叫びます。房子は窓を開け、答えます。

「うるさーい!わかった!」

暢子と房子は約束しました。

運天製麺

暢子はみんなにお店のメイン料理を説明します。

「新しいお店では、うちの畑で採れたものを練り込んだ麺を使った”そば定食”をメインにしたいと思います。うちの原点でもある”そば”に、やんばるらしい島野菜の魅力をたっぷりと添えたいと考えています。カラキ(オキナワニッケイ)を練り込んだカラキ麺で勝負したいと思っています」

そう説明すると、善一は懐かしいと言うのでした。

「子供の頃、このカラキの葉っぱをかじって、甘い蜜を吸っていたわけ」

和彦も、そばの香りを嗅ぎます。

「何とも言えない香り、癖になるかも」

そして、みんなでカラキ麺のそばを試食します。

「熱帯地域で、強い紫外線を受けて育つカラキは、独特の粘り気があって、麺に練り込むと腰がでるんですね」

急に話し出したのは、オリジナル麺を共同開発することになった運天うんてん製麺の運天進でした。

その運天製麵で、試作品を作ることになりました。

お店は完成

半年が過ぎて、11月になりました。

村の人たちの助けも借りて、暢子の新しいお店がついに完成しました。

店の名前は「やんばる ちむどんどん」です。

そして、開店は今月の24日に決まりました。

開店まで2週間。休みの日には良子や歌子たちも集まり、お店の飾りつけを手伝う一方で、暢子は製麺会社の運天さんと粘り強く試行錯誤を続けていました。

予告演出

良子は暢子に伝えます。

「そうそう、にいにいが開店の日、必ず来るって」

久々に4兄妹が揃う予定です。

「早苗も駆けつけてきてくれるってよ。子供3人連れて、里帰りするって」

善一さんは娘・早苗が来ることを教えてくれました。うちなんちゅと結婚したところまでは知っていますが、子供が3人生まれていたんですね。

「懐かしい。でーじ楽しみ」

暢子とは連絡を取っていなかったようです。

「懐かしいと言えば、喜納金吾さんさからも手紙がきて、ハワイから。パイナップル農園をはじめて、大成功してるって。仕事で那覇にくるから、開店の日には、ぜひこっちに来たいって」

今までのキャストがどしどしやってくるようです。

麺が完成

運天製麺で作った麺をみんなで試食します。

「うん、美味しい」
「麺も綺麗。こんなの食べたことない」
「カラキの風味も出汁にあってる」

みんなの反応は上々です。暢子は運天さんと握手して成功を喜びます。

「ありがとうございます。これで最高の麺ができました」

麺のトラブル

やんばるちむどんどんの開店前日になりました。手を合わせて、みんなで気合を入れます。

「頑張って、いくんどー!」

矢作はやってくれませんでしたが、やんばるの人達は協力的です。

その時、電話が鳴りました。暢子が出ます。

「はい、運天さん?え?麺が納品できない?開店は明日なのに・・・」

電話は運天側から一方的に切られてしまいました。

「急に電気系統のトラブルで、機械が動かなくなって、運天さんも本当に申し訳ないって。だから、明日の納品できないって。出汁も豚肉も野菜も、全てカラキのちむどん麺にあわせて仕上げているから。あの麺がないと・・・」

延期するしかない状況です。しかし、みんなが明日のオープンに合わせて、遠くから駆けつけてくれる予定になっています。

「大丈夫、明日開店する」

暢子は、自分たちで麺を作ることにしました。否定的な男性陣に対して、良子と歌子は協力的です。

「ねえねえ、歌子、ありがとう。お母ちゃん、子供達の事、お願いしていい?あと、おばあたちにも声を掛けてもらえる?」

麺づくり

まもるちゃんがリアカーを引いて、カラキを運んでくれました。智と歌子も一緒です。

「あちこちでカラキを集めてきた。小麦粉もとりあえず50食分ぐらいは確保。残りも揃えられそうさ」

流石、スナガワフード。急なご用命にも、対応してくれます。

そして、おばあたちがカラキをハサミで切り、男たちは石臼で引いてペースト状にします。

暢子、歌子、良子は麺づくり。麺はお父ちゃんの包丁を使って切ります。

みんなで作って、やっと50食分できました。

大丈夫

残り50食分を作らないといけません。しかし、もう夜中です。

暢子は「大丈夫」と言うと、歌子も良子も一緒に頑張ってくれます。

朝、お母ちゃんが起きてくると、男性陣は寝ていました。

暢子、良子、歌子は麺づくりをしていました。

そして、数を数え、合計100食できたことを確認しました。

「起きて起きて、できたよ」

そう言うと、男性陣を暢子は起こしました。

開店

「それでは、やんばるちむどんどん、開店します」

何とか開店することができました。最初のお客さんは、まもるちゃんです。

予告通り、早苗が子供3人を連れてやってきてくれました。そして、サプライズで正男を連れてきたのです。

暢子は、早苗、正男にそば定食を振る舞います。定食は、ちむどんそば、シカクマメのお浸し、クファジューシー、島にんじんのしりしりー、ゆし豆腐、紅いもと田芋のから揚げです。

「でーじまーさん、暢子はいくつになっても暢子のままさ」

そう言って、正男は喜んでくれました。

喜納金吾

そこに、喜納金吾がやってきました。

「開店おめでとう。ハワイからラブとピースを届けにきました」

迎えに出たのは良子です。その後ろで、心配そうな博夫の姿がありました。

「妹のために、立派な花をありがとうございます」

良子は金吾にお礼を言います。

「あなたのためです。僕は永遠に君を愛してる。もちろん、ハワイにいる僕のワイフの次に」

そういうと金髪女性との写真を見せてくれました。そして、喜納金吾もそば定食を食べていきます。

「美味しいものはみんなをピース、そして、ラブな気分にちむどんどんするよね」

良くわかりませんが、相変わらずの喜納金吾でした。

勘違い

お客さんも落ち着いて、やっと一段落しました。

お父ちゃんの恩人で、歌子に影響を与えた上原照賢をお母ちゃんが迎えに行っています。

その時、電話が鳴りました。

「あい、にいにい。どこにいるわけ?」

暢子が電話に出て聞くと、賢秀はまだ千葉にいました。

「でーじにぎやかだな。オープンの前祝いでもやってるわけ?」

賢秀はオープンの日を勘違いしていました。来週のつもりでいたようです。

暢子は片付けがあるからと電話を切りました。

賢秀は今から行こうかと思いますが、さすがに間に合う時間ではありませんでした。

下地響子からの手紙

上原照賢もお祝いに駆けつけてくれました。

上原が歌子に手紙を渡しました。それは、下地響子先生からの手紙です。上原が与那国島で歌った時に会っというのです。

「歌子、久しぶりです。結婚、本当におめでとう。
 名護で歌っていると聞きました。とても嬉しいです。私は今でも子供達に音楽を教えています。
 昔と同じようにあなたの人生について、勝手なことを一つだけ言います。どんなに辛い運命や試練が待ち受けようとも、その全てがあなたの歌の糧になる。あなたは、いつもどんな時も、胸を張って堂々と歌い続けなさい。下地響子」

下地先生がいなかったら、歌子は歌っていなかったかも知れません。勝手なことを言うと言って、歌子を導いてくれました。

上原が三線を弾き、歌子が歌を歌いました。

倒れる

夕方、ようやく閉店の時間となりました。

「みんな、今日は一日手伝ってくれて、本当にありがとう」

暢子はみんなにお礼を言います。

お母ちゃんは、大盛況で楽しそうでした。そして、歌子の歌も、良かったです。

みんながそんな感想を言い合っている時、歌子が倒れてしまいました。

歌子は病院に担ぎ込まれます。

「先生、歌子大丈夫ですよね?」

智が先生に詰め寄ります。しかし、先生は首を横に振るのでした。

「そのうち、良くなりますよね?薬とか、できること・・・」

智はさらに詰め寄りますが、先生の答えは智の期待するものではありませんでした。

「できることはやりました。あとは、本人の気力と体力を信じて、経過を見守るしかありません」

前日から徹夜での麺づくりなど、かなり無理をさせていた影響でしょうか。

フーチバージューシー

それから3日経っても歌子の熱は下がらす、意識ももうろうとしたままでした。

「何でいつもこうなってしまうわけ?」

暢子は歌子が回復しないことにいら立っていました。

「お父ちゃんが死んで、借金まみれのどん底で、それでも歯を食いしばって生きてきたのに。暢子が帰ってきて、念願のお店がオープンできて、これでやっとみんなで幸せになれると思ったら、また歌子がこんなことに」

いら立ちは良子も一緒です。

やんばるちむどんどんは休業しました。

朝、料理する暢子の姿がありました。そこに和彦が起きてきます。

「暢子、行かなくていいのか?」

和彦は歌子の病院に行かなくていいのかと聞きます。

「これができたら持っていく。
 フーチバージューシー。子供の時、歌子が熱をだしたら、いつもお母ちゃんたちが作っていたわけ。
フーチバーは熱さましになるからって。今度は、うちが作って食べさせてあげないと。歌子が目を覚ましたらすぐに食べさせてあげないと。葉の柔らかいところを使って、水にさらして」

暢子は歌子のことが心配でたまりませんでした。

賢秀到着

沖縄北広域病院に賢秀がやってきました。歌子のことを聞いて、慌てています。

しかし、タクシーに乗ってきたのですが、タクシー代を払わずに病院に入って行ってしまいます。

病院の受付で歌子の病室を聞きますが、大きな病院で歌子と言っても通じません。そこに和彦がやってきて、病室に案内します。

「歌子、起きれ、歌子。歌子、起きれ。目を覚ませ」

賢秀は歌子に声をかけます。しかし、良子に静かにするように注意されてしまいました。

「にいにい、ねえねえ、行こう。一緒にきて」

暢子はそう言うと、良子と賢秀と一緒に来たタクシーに乗って、海を目指します。お父ちゃんのお墓のある海です。

「お父ちゃん!歌子を助けてちょうだい。お父ちゃん」

良子も賢秀も、なぜかタクシーの運転手も一緒に、お父ちゃんに呼びかけます。

その時、病院では、歌子が目をさましました。

そして、暢子にはお父ちゃんの声が聞こえていました。

「暢子、大丈夫。見ているからよ。まくとぅそーけーなんくるないさ。大丈夫」

202X年

時は流れて、202X年(令和X年)になりました。

年老いた暢子がやんばるちむどんどんに帰ってきました。しかし、お店には誰もいません。

隠れていた孫たちが、暢子を驚かしました。その中に、暢子の子供の頃とそっくりな女の子もいました。

健彦はすっかり青年になっています。

和彦もすっかりおじいになっていました。そして、良子おばあからきたメッセージを暢子に見せます。

そして、良子一家がお店にやってきました。良子の孫は、良子の子供の頃とそっくりです。

さらに、賢秀一家もやってくる。賢秀の孫は賢秀の子供の頃とそっくりです。

「見て!コスモバンド」

暢子に見せたそれは、賢秀がいつもつけていたバンドの現代版でした。

そして、歌子一家もやってくる。歌子の孫は歌子の子供の頃とそっくりです。

「歌子、体の調子はどう?」

暢子がそう聞くと、歌子は何でもないように答えます。

「元気さ。この10年風邪もひいてないさ」

あれから、歌子の原因不明の病気は治癒したようです。

思い出話し

暢子のやんばるちむどんどんは、山原小学校や山原村観光協会から、感謝状をもらうまでになっていました。地域に根差したお店です。

昔の写真を見て、思い出話しに花を咲かせています。

「懐かしいなあの写真。なんで俺がいないわけ?」

その写真は、やんばるちむどんどん開店の時の写真です。賢秀が勘違いして不在だったので、映っていないのです。

「あの時は、本当に心配だったね」
「もう助からないとおもったさ」
「海でお父ちゃんにお願いしたおかげで助かったわけ」
「元気になったのは、うちのフーチバージューシーのおかげさ」
「はいはい、みなさんのおかげで今日まで元気にやってこれました」

こんな簡単に歌子の病気が片付けられていいのでしょうか?

主役の帰宅

そこに和彦おじいがクラッカーを持ってきました。

「さあさあ、今日の主役が帰ってくるよ」

今日の主役はお母ちゃん。もうひ孫までいる100歳近い年齢のはずです。

帰ってきたお母ちゃんにクラッカーを鳴らして、みんなで迎える。そして、ハッピーバースデーを歌います。

その時、暢子にはお父ちゃんの姿が見えました。

そして、みんなで集合写真を撮りました。

30数年の出来事

賢秀は、猪野養豚でコツコツ働き、昔借りたお金は全て倍にして返しました。

良子は夫婦揃って校長まで勤めあげ、銀婚式には海外旅行に行く夢をようやく果たしました。ハワイに行くお金は、東京ちむどんどんの開店資金にしたのが、ついこの前のことのようです。

歌子は、民謡歌手としてたくさんレコードを出しました。そして子供達に歌三線を教えています。智は歌子の歌手活動を支えています。

和彦は、念願だった沖縄の本を出版し、民俗学分野でその功績を讃えられ、沖縄の文化を発信し続けています。

そして、暢子のやんばるちむどんどんは大繁盛。今日も料理三昧の日々を送っています。

大団円

青柳未来みらいは、暢子の孫です。

「未来は外国に行きたい気持ちは変わらないわけ?」

暢子がそう聞くと、未来は答えます。

「うん、私は絶対に世界一のパティシエになる」

それを聞いた暢子は、呟くように言うのでした。

「うちは明日からもこうやって、大好きな人達と美味しいものを食べたい」

そして、上達した和彦の三線を伴奏にして、歌子が歌い、みんなで踊るのでした。

そして、あの時へ

これはやんばるのある家族の物語です。

暢子が高校3年生、良子は先生になったころ。まだ賢秀はやんばるにいました。そして、歌子は高校1年生です。

食事の係りは、暢子でした。みんなで朝食を食べていました。

子供の頃、家族と食べた美味しいもの、共に過ごした思い出は、きっとその後の人生に勇気を与えてくれるはずです。

暢子は、シークワーサーの木から実をもぐと、美味しそうに食べていました。

最後に

いろいろ問題になった「ちむどんどん」。

みんなが言うほど、ひどくないと覆っていました。しかし、最終週、特に最終日はひどかったです。

30数年を一気に飛ばしたかと思ったら、なぜか暢子が高校生の時に戻っていました。さっぱり理解できませんでした。

振り返ると、ちむどんどんのピークは第2週目でした。それ以降は、戦争とウークイの15週以外は、なんとも評価しずらかったです。

前作の「カムカムエブリバディ」を1ヶ月短くして、通常放送に戻った最初がちむどんどんでしたが、カムカムエブリバディを1ヶ月伸ばして欲しかったなと思います。

とは言え、10月からは五島列島が舞台の「舞いあがれ」が始まります。しかし、五島列島出身の川口春奈はちむどんどんに出てしまいました。キャスティング、何とかならなかったのでしょうか?

「終わりよければ全て良し」となるはずが、不満だけが残ってしまって、残念でした。